ジョン・ル・カレ氏原作の『誰よりも狙われた男』を少し早目に鑑賞させていただきました。本作は現代のハンブルクを舞台に、ドイツの情報機関による対テロ調査活動を描いたもので、手に汗握るスリリングな出来となっています。
ところで実際のスパイによるヒュミント活動は、冷戦の頃よりも今の方が格段に複雑になったと言われています。冷戦時代アメリカの情報機関がやっていたのは、モスクワに情報オフィサーを送り込むことと、ワシントンに送り込まれてくるKGBのオフィサーをチェックすることでした。つまり東西冷戦という特殊な事情の下では、相手がどこから来るか、何を狙っているのか、ということが大よそ推測できましたので、情報機関の側もそれに沿って活動すれば良かったことになります。
ところが冷戦後、ソ連は崩壊し、西側情報機関の主な仕事は国際テロリストの監視になりました。テロリストの場合、決まった場所からやって来るというものではなく、グローバルに展開していきなり攻撃を仕掛けてくるという厄介なものですので、こうなりますとそれまでの情報活動では対処できなくなります。そこで世界中の情報機関が手を結び、テロリストの情報を共有し合いながら対処する、というのが冷戦後のやり方になっていきます。
本映画もこのような複雑な国際テロ活動を追うドイツ当局の対テロ組織の実態を描くものです。故フィリップ・シーモア・ホフマンが演じる主人公は、昔気質の情報オフィサーで、なるべく相手の状況に配慮しながら慎重に情報活動を進めていくタイプですが、そのようなやり方ではなかなか結果を出すことができず、同じくテロ対策を進める連邦憲法擁護庁(BfV)との対立に発展していきます。さらにBfVの背後には、とにかく何でも情報が欲しいアメリカの中央情報庁(CIA)が控えており、冷戦後は西側間、もしくは同じ国の情報機関の間で複雑な縄張り争いが展開されていたことが描かれているわけです。対テロ活動だけでもスパイのゲームが複雑になったのに、さらにそれに身内同士の足の引っ張り合いが加わるので、冷戦後のスパイ活動は複雑極まりないわけです。ただ映画としての本作は、同じ原作者による『裏切りのサーカス』と比べると理解しやすく、『サーカス』の方は何度見ても難解でしたが、こちらは一度観れば十分だと思います。
ちなみに『サーカス』では「国家への忠誠と裏切り」がテーマだったように理解したのですが、『誰よりも狙われた男』のテーマとは何だったのでしょうか。見方によってはアメリカやイラク戦争に対する批判のようにも見えます。特に最後のシーンのその後は映画では描かれませんでしたが、恐らく悪名高い囚人特例引渡しに繋がると想像されます。これはCIAによる違法な人権侵害であり、作品内で批判されたロシアによる拷問とそれ程変わらないものであります。そう考えればアメリカ批判とも解釈できますが、もう少し普遍的なテーマを考えてみますと、やはり本作も国家への忠誠心というところに落ち着くのではないかと。つまり情報機関で働く人間は、法律すれすれのこともやらないといけませんし、時には自らの身に危険が及ぶこともあります。そこまでして任務を遂行するのはやはり自分が国家や国民の安全のために働いているという矜持がなければ難しいのではないでしょうか。
日本にも対外情報機関を、という声も高まっていますが、組織を作っても職員にきちんとした国家観を持たせることができなければ、それは上手く機能しません。国家観がなければ、自らの任務に疑問を持ったり、敵方に買収されたりする可能性が付きまとうからです。戦前の陸軍中野学校もこの点を重視し、教育の段階で国体学を念入りに教えていたそうです。
中野学校で特筆すべきは、戦争が終わり、所属していた帝国陸軍というものが解体されても、中野生たちが海外で情報収集や秘密工作活動に従事し続けていたことでした。戦後29年間、フィリピン・ルパング島で活動を続けた小野田寛郎氏のように、戦後も朝鮮半島から中国大陸にかけて、現地人として生きた中野生は少なくなく、彼らは日本の復興のために現地の情報をひたすら送り続けたとも言われています。このようにスパイとは、人に知られることなく国のためにひたすら尽くす職業ですので、任務に耐えるためには確固とした国家観が必要になってくるといえます。
ところで実際のスパイによるヒュミント活動は、冷戦の頃よりも今の方が格段に複雑になったと言われています。冷戦時代アメリカの情報機関がやっていたのは、モスクワに情報オフィサーを送り込むことと、ワシントンに送り込まれてくるKGBのオフィサーをチェックすることでした。つまり東西冷戦という特殊な事情の下では、相手がどこから来るか、何を狙っているのか、ということが大よそ推測できましたので、情報機関の側もそれに沿って活動すれば良かったことになります。
ところが冷戦後、ソ連は崩壊し、西側情報機関の主な仕事は国際テロリストの監視になりました。テロリストの場合、決まった場所からやって来るというものではなく、グローバルに展開していきなり攻撃を仕掛けてくるという厄介なものですので、こうなりますとそれまでの情報活動では対処できなくなります。そこで世界中の情報機関が手を結び、テロリストの情報を共有し合いながら対処する、というのが冷戦後のやり方になっていきます。
本映画もこのような複雑な国際テロ活動を追うドイツ当局の対テロ組織の実態を描くものです。故フィリップ・シーモア・ホフマンが演じる主人公は、昔気質の情報オフィサーで、なるべく相手の状況に配慮しながら慎重に情報活動を進めていくタイプですが、そのようなやり方ではなかなか結果を出すことができず、同じくテロ対策を進める連邦憲法擁護庁(BfV)との対立に発展していきます。さらにBfVの背後には、とにかく何でも情報が欲しいアメリカの中央情報庁(CIA)が控えており、冷戦後は西側間、もしくは同じ国の情報機関の間で複雑な縄張り争いが展開されていたことが描かれているわけです。対テロ活動だけでもスパイのゲームが複雑になったのに、さらにそれに身内同士の足の引っ張り合いが加わるので、冷戦後のスパイ活動は複雑極まりないわけです。ただ映画としての本作は、同じ原作者による『裏切りのサーカス』と比べると理解しやすく、『サーカス』の方は何度見ても難解でしたが、こちらは一度観れば十分だと思います。
ちなみに『サーカス』では「国家への忠誠と裏切り」がテーマだったように理解したのですが、『誰よりも狙われた男』のテーマとは何だったのでしょうか。見方によってはアメリカやイラク戦争に対する批判のようにも見えます。特に最後のシーンのその後は映画では描かれませんでしたが、恐らく悪名高い囚人特例引渡しに繋がると想像されます。これはCIAによる違法な人権侵害であり、作品内で批判されたロシアによる拷問とそれ程変わらないものであります。そう考えればアメリカ批判とも解釈できますが、もう少し普遍的なテーマを考えてみますと、やはり本作も国家への忠誠心というところに落ち着くのではないかと。つまり情報機関で働く人間は、法律すれすれのこともやらないといけませんし、時には自らの身に危険が及ぶこともあります。そこまでして任務を遂行するのはやはり自分が国家や国民の安全のために働いているという矜持がなければ難しいのではないでしょうか。
日本にも対外情報機関を、という声も高まっていますが、組織を作っても職員にきちんとした国家観を持たせることができなければ、それは上手く機能しません。国家観がなければ、自らの任務に疑問を持ったり、敵方に買収されたりする可能性が付きまとうからです。戦前の陸軍中野学校もこの点を重視し、教育の段階で国体学を念入りに教えていたそうです。
中野学校で特筆すべきは、戦争が終わり、所属していた帝国陸軍というものが解体されても、中野生たちが海外で情報収集や秘密工作活動に従事し続けていたことでした。戦後29年間、フィリピン・ルパング島で活動を続けた小野田寛郎氏のように、戦後も朝鮮半島から中国大陸にかけて、現地人として生きた中野生は少なくなく、彼らは日本の復興のために現地の情報をひたすら送り続けたとも言われています。このようにスパイとは、人に知られることなく国のためにひたすら尽くす職業ですので、任務に耐えるためには確固とした国家観が必要になってくるといえます。
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by chatnoir009
| 2014-09-22 23:51
| その他







