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「魔法は探し求めている時が一番楽しい」


by chatnoir009
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誰よりも狙われた男

 ジョン・ル・カレ氏原作の『誰よりも狙われた男』を少し早目に鑑賞させていただきました。本作は現代のハンブルクを舞台に、ドイツの情報機関による対テロ調査活動を描いたもので、手に汗握るスリリングな出来となっています。
 ところで実際のスパイによるヒュミント活動は、冷戦の頃よりも今の方が格段に複雑になったと言われています。冷戦時代アメリカの情報機関がやっていたのは、モスクワに情報オフィサーを送り込むことと、ワシントンに送り込まれてくるKGBのオフィサーをチェックすることでした。つまり東西冷戦という特殊な事情の下では、相手がどこから来るか、何を狙っているのか、ということが大よそ推測できましたので、情報機関の側もそれに沿って活動すれば良かったことになります。
 ところが冷戦後、ソ連は崩壊し、西側情報機関の主な仕事は国際テロリストの監視になりました。テロリストの場合、決まった場所からやって来るというものではなく、グローバルに展開していきなり攻撃を仕掛けてくるという厄介なものですので、こうなりますとそれまでの情報活動では対処できなくなります。そこで世界中の情報機関が手を結び、テロリストの情報を共有し合いながら対処する、というのが冷戦後のやり方になっていきます。
 本映画もこのような複雑な国際テロ活動を追うドイツ当局の対テロ組織の実態を描くものです。故フィリップ・シーモア・ホフマンが演じる主人公は、昔気質の情報オフィサーで、なるべく相手の状況に配慮しながら慎重に情報活動を進めていくタイプですが、そのようなやり方ではなかなか結果を出すことができず、同じくテロ対策を進める連邦憲法擁護庁(BfV)との対立に発展していきます。さらにBfVの背後には、とにかく何でも情報が欲しいアメリカの中央情報庁(CIA)が控えており、冷戦後は西側間、もしくは同じ国の情報機関の間で複雑な縄張り争いが展開されていたことが描かれているわけです。対テロ活動だけでもスパイのゲームが複雑になったのに、さらにそれに身内同士の足の引っ張り合いが加わるので、冷戦後のスパイ活動は複雑極まりないわけです。ただ映画としての本作は、同じ原作者による『裏切りのサーカス』と比べると理解しやすく、『サーカス』の方は何度見ても難解でしたが、こちらは一度観れば十分だと思います。
 ちなみに『サーカス』では「国家への忠誠と裏切り」がテーマだったように理解したのですが、『誰よりも狙われた男』のテーマとは何だったのでしょうか。見方によってはアメリカやイラク戦争に対する批判のようにも見えます。特に最後のシーンのその後は映画では描かれませんでしたが、恐らく悪名高い囚人特例引渡しに繋がると想像されます。これはCIAによる違法な人権侵害であり、作品内で批判されたロシアによる拷問とそれ程変わらないものであります。そう考えればアメリカ批判とも解釈できますが、もう少し普遍的なテーマを考えてみますと、やはり本作も国家への忠誠心というところに落ち着くのではないかと。つまり情報機関で働く人間は、法律すれすれのこともやらないといけませんし、時には自らの身に危険が及ぶこともあります。そこまでして任務を遂行するのはやはり自分が国家や国民の安全のために働いているという矜持がなければ難しいのではないでしょうか。

 日本にも対外情報機関を、という声も高まっていますが、組織を作っても職員にきちんとした国家観を持たせることができなければ、それは上手く機能しません。国家観がなければ、自らの任務に疑問を持ったり、敵方に買収されたりする可能性が付きまとうからです。戦前の陸軍中野学校もこの点を重視し、教育の段階で国体学を念入りに教えていたそうです。
 中野学校で特筆すべきは、戦争が終わり、所属していた帝国陸軍というものが解体されても、中野生たちが海外で情報収集や秘密工作活動に従事し続けていたことでした。戦後29年間、フィリピン・ルパング島で活動を続けた小野田寛郎氏のように、戦後も朝鮮半島から中国大陸にかけて、現地人として生きた中野生は少なくなく、彼らは日本の復興のために現地の情報をひたすら送り続けたとも言われています。このようにスパイとは、人に知られることなく国のためにひたすら尽くす職業ですので、任務に耐えるためには確固とした国家観が必要になってくるといえます。
# by chatnoir009 | 2014-09-22 23:51 | その他
 The Official History of the Joint Intelligence Committee_e0173454_2310959.png先月、ロンドンの書店で、待望の合同情報会議(JIC)のオフィシャル・ヒストリーを見つけて購入し、ぱらぱらと読み続けておりました。JICとはイギリスのインテリジェンスの要であり、007の秘密情報部(MI6)やスノーデン事件で注目された政府暗号本部(GCHQ)からの情報を取りまとめて評価し、政府首脳に報告する組織です。2009年から保安部(MI5)、MI6と政府のインテリジェンス・ヒストリーが順番に出版されてきましたが、本書はその集大成となるものです。
「いつ出るの?」、「もうすぐ」と著者のMike Goodman博士との禅問答を繰り返すこと5年近く、もはや「出る出る」詐欺かと諦めかけていた所でしたので、書店で見るや否や飛びついた次第です。ただし後述しますようにこれは「第一巻」です。

 本書は1936年にJICが設置されてから、1956年のスエズ危機までの時期を扱っています。大まかな歴史の流れとしては、ドイツの再軍備による軍事的脅威を評価する必要性に迫られていた英政府が、それまでばらばらに情報活動を行っていた陸海空軍、外務省、秘密情報部を統合することに端を発します。この時、内閣官房長官(事務)のモーリス・ハンキーが辣腕をふるい、緩やかに統合された情報組織であるJICを誕生させることになります。JICの当初の目的はドイツの脅威を評価するため、つまりは軍事情報の分析が第一だったのですが、各軍間の対立を引き起こさないように、議長に外務省の高官を持ってきたのは流石の慧眼だったといえます。その後、第二次世界大戦が始まると、JICはイギリスのインテリジェンスの元締めとして、情報を取り纏めて評価し、それを統合参謀本部やチャーチル首相に届け続けることになります。本書では大戦中のJICの成功は、イギリスの勝利の要因となったとの評価です。
 ところが上手く行き過ぎた成功がその後の問題を引き起こす、というのは古今東西に共通しているようで、JICも例外ではありませんでした。JICはその創設時から、「ドイツ軍の戦術的な軍事動向」を分析することを得意としたのですが、第二次大戦後、ソ連が新たな敵として出現すると、JICはソ連の外交や戦略的意図を評価する必要性に迫られます。しかしJICにはそれまで同盟国だったソ連を分析する専門家もおらず、また政治・外交的な情報評価も苦手であったため、かなり苦戦することになります。
 さらに追い打ちをかけたのがスエズ危機でして、この時はアメリカ、ソ連、イスラエル、フランスの出方を多角的にかつ戦略的に分析する必要があったのですが、JICはこれに対応し切れませんでした。こうしてスエズ危機を契機として、JICは参謀本部から内閣府に移され、イギリス政府のために政治、外交、軍事の側面から情報分析を行う組織に生まれ変わることになります。
 ただしJICの任務は今も昔もそう変わっておらず、極言すれば、①政府内の各情報部局の取り纏め(本書内では「オーケストラの指揮者」とも)、②政府高官や軍司令官の情報ニーズの把握、③情報評価書の作成、になります。今となっては②の所はNSCで取り纏められていますので、最近のJICの任務はより③に力点が置かれるようになったということでしょうか。本書を通読すれば、国の戦略の必要上設置されたJICが大戦を勝利に導き、その後、スエズ危機で行き詰る過程がよく描かれているといえます。
 The Official History of the Joint Intelligence Committee_e0173454_23111527.pngちょうど同じ書店で、Spying on the WorldというJICの資料集も見つけました。こちらも出版されたところのようで、編者はGoodman博士やその師、Richard Aldrich教授らになっています。出版社は別ですが、恐らくJICのオフィシャルに合わせて発売したのでしょう。こちらはJICの情報評価書の一次資料を纏めたものです。例えば、第二次大戦中の対独評価や、朝鮮戦争の際に中共軍が参戦してくる可能性、スエズ危機やフォークランド紛争直前のJICの評価がどのようなものだったのかが、部内の原資料が要領よく纏めてあります。ですのでオフィシャルと二冊揃えておけば、JICの本質によく迫れるのではないかと思います。

 ところで、MI5やMI6のオフィシャル・ヒストリーが、スパイをめぐるエキサイティングな内容だったのに対し、本書はイギリス政府におけるJICの位置づけやその時々の情報評価など、地味な内容となっています。そのためイギリスのマスコミでもあまり話題とならなかったようですし、またそれを受ける日本側ではほとんど全く知られていないような印象です。しかしJICの情報評価が英軍や政府の判断に直結していた以上、こちらの方がより当時の政府の内情を浮かび上がらせ、政治史や軍事史を研究する上でとても重要なものではないかと考えます。
 ところでまたGoodman博士に、「第二巻はいつ出る予定で、時代はどこまでを扱うんでしょう?」と懲りずに聞いてみた所、「多分3、4年後、時代は1991年まで」との回答でした。MI6の歴史が1947年までしか描かれなかったことを考えますと、冷戦終結までカバーされるのはとても待ち遠しいですが、「多分」ということはまた相当延びることになるのでしょうか。。。
 
# by chatnoir009 | 2014-09-21 23:17 | 書評
 昨年から話題となっているエドワード・スノーデン氏の暴露本が、ちょうど同じタイミングで日経BP社と新潮社から翻訳、発売されました。どちらもスノーデン氏が米国家安全保障局(NSA)の機密を暴露してからその後の顛末までが綴られているのですが、同じ内容というわけではありません。
 ちなみにNSAは米軍の通信傍受を専門とする組織で、有名な米中央情報庁(CIA)をも凌ぐ、米国最大の情報組織です。NSAの本来の任務は、通信傍受によって国外の情報を収集することであったはずが、いつの間にか暴走して、法律で禁じられている米国内の一般市民に対する情報収集を行うようになりました。市民のメールを収集するのは朝飯前、グーグルやフェイスブックなどのIT企業と協力して個人情報を集めたり、暗号ソフトにバックドアを仕掛けておいて暗号もすり抜ける、といった様々な手法で、ビッグデータを収集してきたわけであります。
 そこで当時、NSA関連の業務を行っていたスノーデン氏はこのようなNSAによる無差別情報収集の現実を目の当たりにして憤慨、部内情報を持ち出し、それをジャーナリストに渡したことでスノーデン氏は一躍時の人となりました。何度も書いていますが、今年、日本政府内に設置された国家安全保障会議(NSC)とNSAは名前が似ていますが、全く異なる組織です(NSAとNSCの違いついてはこちらをどうぞ)。

 スノーデン氏に関する二冊の本_e0173454_22502758.jpg新潮社の『暴露』の方は、スノーデン氏が接触したジャーナリスト、グレン・グリーンウォルド氏の視点から書かれており、NSAの機密文書の暴露に主眼が置かれています。いわゆる「一次資料」が中心に据えられていますので、やや専門的なところがありますが、NSAの生々しい現実が臨場感をもって伝えられています。例えば、NSAが傍受しているメールの数が月に970億件だとか、これまでに蓄積してきた米国人のメールの総数が20兆件にも上るだとか、これらは部内リークでないと全く表に出てこないような情報であります。たとえNSAがメールの内容まで逐一チェックしていないとしても、どの相手とメールや電話のやり取りを行ったかで、その人の行動が推察されてしまうこともあります。本書内には以下の様な事例が紹介されています。

 「ある女性が、かかりつけの婦人科医に電話をする。それからすぐ母親に電話し、その後、ある男性に電話をする。この男性は、過去数カ月間、この女性が午後11時以降にしばしば電話をしていた相手だ。それから中絶の斡旋をしている家族計画センターに電話をしたら、どうだろう。一本の通話の記録を調べるだけでは明らかにならないような、おおまかな筋が把握できるはずだ」(203頁)

 こういった行動予測は、昔から軍事情報の分野ではよく行われていることですが、一般の市民に対してもこのような見方をされる可能性があることを考えますと、なかなか心穏やかにはなれません。グリーンウォルド氏はこの点について、「NSAの能力をもってしても、すべてのEメールを読み、すべての通話を聞き、全員の行動を追跡することはできない。監視システムが効果的に人の行動を統制できるのは、自分の言動が監視されているかもしれないという認識を人々に植え付けるからだ」(261頁)と鋭い指摘を行っています。
 この話は米国に限定されるものではありませんから、ネットにおける我々の個人情報も常にNSAの監視下にあると考えておいた方が良いでしょう(私もあちらのお友達とメールするときは「君の会社」や「河向こうの人々」と一応無駄な努力を行っていますが)。

 スノーデン氏に関する二冊の本_e0173454_22504648.jpg日経BPの『スノーデンファイル』の方は、英国『ガーディアン』紙の海外特派員、ルーク・ハーディング氏によるもので、その内容はやや英国寄りです。本書では米国NSAの兄弟分である、英国政府通信本部(GCHQ)の秘密活動を描くのにかなりの紙幅が割かれています。本文中、スノーデン氏は「GCHQはNSAよりひどい。やりたい放題です」と断言していますが、これは言い得て妙かもしれません。
 NSAの場合、まがりなりにも法律によって米国内で米国市民の通信を勝手に傍受することは禁止されていますし、テロや犯罪捜査目的で傍受を行う場合は、裁判所からの許可が必要となっています。それに対してGCHQの場合は法律で、「通信傍受をやってよいのはGCHQに限る(他の組織は駄目よ)」としか決められていません。そうなるとまさにGCHQはやりたい放題でして、以前はNSAから依頼されて米国内の傍受も肩代わりして行っていたようです。最近はNSA自ら米国内の傍受を担当するようになったので、その必要はなくなったのですが、今でもNSAとGCHQの関係は一蓮托生のようです。
 この本がスリリングなのは、ガーディアン編集部と英国政府の対立が先鋭化して、政府機関監視の下、編集部のパソコンが粉々に砕かれるという衝撃の焚書行為、そしてそれにも屈せずジャーナリズムを貫くガーディアン側の反撃というストーリー性にあるのだと思います。
 ちなみにスノーデン氏一行が、政府機関に居場所を特定されないため、各々の携帯電話を冷蔵庫に入れて電波を遮断しようとする描写があります。これを読んで、電源を切った方が早いのではと思ったのですが、調べてみるとどうやら電源を切っても生きているパーツがあるらしいので、冷蔵庫というのもそれなりの説得力があります。さらに調べると、電源を切った携帯をアルミホイルで包んで、電子レンジに放り込んでおくほうがより安全な遮蔽になるみたいです。居場所を特定されたくない方には参考になるかもしれません(笑)。

 2冊に共通するテーマは、無垢な市民を陰でこっそりと監視するNSAとGCHQ、そして本来、情報機関を監督すべきはずの議会も政府側に抱き込まれて機能せず、そのような状況の中、最後の砦となった報道機関がスノーデン氏とともにNSAとGCHQの闇を暴く、という二極対立的なものです。この話に感銘を受けたオリバー・ストーン監督もスノーデン氏を主人公にした映画を製作すると発表したところですが、リベラル色の強い監督ですので、何となくストーリーは見えてきます。

 ただし、NSAもGCHQも危険な組織だから解体せよ、という訳にはいきません。両組織はもともとテロとの戦いや、国民の安全のために平時から情報収集活動をおこなっているのであり、それによって未然に防げたテロも少なくありません。そのため両国民の一定数は常に情報機関の役割を肯定的に捉えています。確かに9・11テロ以降の情報収集活動が暴走気味であったことは確かですが、むしろ重要なのは、このような情報機関の暴走を抑える制度設計の方です。最近、米国では法律が改正されてNSAの活動に一定の枠がはめられましたし、英国においても議会の情報機関の監視権限が強化されています。

 この点についてちょうど『インテリジェンスの基礎理論(第二版)』を上梓された小林良樹氏も以下のように書いておられます。

 「仮にインテリジェンス機関が暴走するようなことがあるとすれば、国民の人権を著しく侵害しあるいは国家の存亡そのものを危うくしかねない潜在的な危険性があることは否定できない。こうしたことから、民主的国家においては、インテリジェンス機関の活動に対する民主的統制制度を確立しておくことが不可欠である」(176頁)

 もう一点指摘しておかなくてはいけないのは、スノーデン氏の機密情報持ち出し、並びにその暴露は、法律に違反しているということです。米国であれば意図的な機密漏洩は懲役10年、しかも加重主義となりますので、氏が持ち出した機密の量を考えますと、懲役100年は下らない計算となります。本人もそのことを重々承知しているので、最初は香港、そして今はロシアに逃げ込んでいるわけですが、報道に拠りますと今後は、グリーンウォルド氏の居住するブラジルへの亡命も検討されているようです。ただ2冊ともジャーナリストによって書かれているため、スノーデン氏が何を考えているのかいまいちよくわからない所もあります。
 最後に、2冊を読んで感銘を受けたのは、やはり欧米におけるジャーナリズムの力強さです。報道機関も元来、第四の権力として政府をチェックすることになっていますが、本書を読むと『ガーディアン』や『ニューヨークタイムズ』の権力に屈しない力強さ、そしてスノーデン氏の資料の重要性にいち早く気付いたジャーナリストらの慧眼には驚かされます。
# by chatnoir009 | 2014-06-05 22:48 | 書評

講座警察法

 講座警察法_e0173454_22355840.jpg講座警察法』全三巻が発売されました。本書は警察行政について網羅した専門書で、多くの警察関係者が執筆に携わっていますが、第三巻の最終章では「公安の維持」と題して警察のインテリジェンス活動に触れられています。しかも「外事警察史素描」という論文を執筆されているのは、現役の内閣情報官、北村滋氏であります。北村氏といえば2006年に、「最近の『情報機関』をめぐる議論の動向について」と題した論文で、内閣情報官の位置づけに対する、抑制的かつ大胆な議論を展開されていますが、今回のものは明治期から現代までの外事警察の活動の歴史であります。
 外事警察というと、日本のカウンター・インテリジェンス組織でありますが、その実態はよくわかってきませんでした。ドラマ化もされた、麻生幾氏の『外事警察』は細部までよく取材された印象で、何人かの警察関係者も絶賛されていましたが、肝心の経験者による回顧録などはほとんとなく、その内情がなかなか表に出てきませんでした。そのような中、外事情報部長まで務められた公安畑のプロ、北村氏による論稿となりますと、これはとても貴重なものです。ただ現役の内閣情報官が執筆するようなものは、それがたとえ個人的なものであっても、内容チェックが入るはずですので、部内の秘め事について書くことは無理でしょう。そのため内容は公開情報を基に、外事警察の組織変遷について淡々と書かれていますが、「外国治安情報機関等とハイレベルで質の高い情報交換をより円滑に行うことが可能となった」というような記述は、実情を知る部内の人間ならではのものかと思います。
 
 ただそれよりも個人的に驚いたのは、「太平洋戦争」を「大東亜戦争」と記述されている点でしょうか。普通、政府関係者が太平洋戦争について言及する場合は「先の戦争」ですし、せいぜい太平洋戦争までです。しかし本論考の中では1941年12月12日の閣議で大東亜戦争の呼称が公式決定されたという注を引きつつ、大東亜戦争で一貫しています。現役の政府高官がこのような呼称を「敢えて」使用するというのはかなり思い切ったという印象です。
 私自身、いつもこの呼称については苦慮するのですが、結局無難な「太平洋戦争」を使用しています。参考までにこの呼称について挙げておきますと、「大東亜戦争」(閣議決定された公式呼称。ただし右寄り)、「太平洋戦争」(米国による呼称、ニュートラルな印象)、「極東戦争」(英国の一部歴史家による呼称、学術的)、「日米戦争」(ニュートラルな印象)、「昭和戦争」(読売新聞が提唱した呼称)、「15年戦争」(左寄り)、「アジア・太平洋戦争」(左寄り)といった感じでしょうか(大東亜戦争と「大東亜戦争」や、アジア太平洋戦争とアジア・太平洋戦争は違う、といった細かい議論を挙げていくときりがありませんが、気になる方はこちらをどうぞ)。

 閑話休題。もう一点興味深かったのは、高知県警本部長、小林良樹氏の「インテリジェンスと警察」と題した論文です。小林氏については、本ブログでも何度も取り上げておりますので今更説明する必要もないですが、氏は昨年まで慶應義塾大学でインテリジェンスの講義を担当し、『インテリジェンスの基礎理論』も執筆されている学究肌の実務家です。
 本論文は、法執行機関である警察がインテリジェンス業務を行うべきなのか、といった本質的な問題について論じられており、とても興味深いものです。そもそも同じ調査活動を行うにしても、法執行機関は事件が起きた後に狭く深く調査を行うのに対して、情報機関は平時から常に広く情報収集を行うため、この両者は似ているようで実はカルチャーが異なります。そのため法執行機関が情報活動を行うべきかどうかについては色々な意見があります。欧米先進国で法執行機関がインテリジェンス活動も行っているのは日米だけでして、アメリカではかのFBIになります。ただアメリカでもFBIからインテリジェンス機能を切り離し、独立した防諜組織を立ち上げるべきだとする意見も根強く聞かれており、なかなか悩ましい問題のようです。
 こういった問題意識に対して本論考は、インテリジェンスの本質論から始め、慎重に警察とインテリジェンスの関係について論じられています。そして本稿では警察がインテリジェンス活動を副次的に行うことについては特に問題がないという結論ですが、最後の所で、「我が国自身の独自の政治、社会、歴史状況等を踏まえつつ、我が国にとって最も相応しい制度を個別具体的に検討する必要があるものと考えられる」、といった含みを持たせた結論となっています。
 もちろん現役の警察官が「警察がインテリジェンスをやるのは不適切」と言ってしまえるわけはありませんが、我が国では戦後長らく、公安警察がインテリジェンス活動を率いてきた伝統がある以上、それを前提とした上で新たな制度を検討していく必要があるということでしょうか。この問題意識は今後、警察と関係の深い内閣情報調査室にも関係してくる話ではないかと思います。
 
# by chatnoir009 | 2014-03-30 22:38 | 書評
 とうとうロシアがクリミアの編入に舵を切り始めました。先月のウクライナでの政変からあっという間の出来事でしたが、欧米の対応は後手に回っています。欧米のリーダーが及び腰なのは感覚として伝わってきますが、要所要所で「(欧米との対立を覚悟してまで)ロシアはウクライナに介入しないだろう」、「ロシアはクリミアに派兵しないだろう」、「ロシアはクリミアを編入しないだろう」と楽観的な見方が幅を利かせ、その都度、ロシアの後手に回っている印象です。これで思い起こされるのがキューバ危機でして、当時のCIAでは「ソ連がアメリカとの核戦争の危険を冒してまでキューバにミサイルを持ち込まないだろう」という見方が広がっていました。そのため、ソ連がミサイルを運搬しているという情報が入ってきても、それに対する感度の鈍さは相当なものでした。
 今回も各国のインテリジェンス組織が、きちんとした情勢判断を挙げているのか気になるところです。確かにロシアの動きが早すぎて対応できていない可能性もありますが、インテリジェンスの情勢判断に問題はなかったのか、もしくは政治指導者が聞きたくない情報を受け入れなかったのか、後で検証する必要があるかと思います。

 ところでウクライナ関連で気になっているのは、フランスが強襲揚陸艦「ミストラル」2隻をロシアに売却するかどうかです。もし欧米が本腰を入れて対露制裁に踏み出すのであれば、このような兵器をこのタイミングでロシアに譲り渡すような行為は論外なのですが、報道によりますと、ロシアは既に2隻分の代金、11億ユーロの内、7億ユーロを支払い済みとのことで、もしこの時点でフランスが手を引けば莫大な違約金が発生するそうです。ですのでフランスがこの問題に対してどのような対応を取るかでフランスの本気度が見極められそうです。
 しかしこの問題は日本にとって対岸の火事では済みません。元々、2隻の内、1隻は極東のウラジオストクに配備されることになっているからです。この「ミストラル」のウラジオ配備は、北方領土の防衛を見込んだものです。「ミストラル」は一見ヘリ空母のようですが、固定翼機以外は大抵何でも運べますので、兵力のプロジェクションや上陸作戦、離島奪回などに利用できるマルチユースな船ともいえます。
 離島防衛の基本は、島に守備部隊を置いて取られなくすることが第一です。イギリスが本土から13000kmも離れたフォークランド諸島に、最新のユーロファイター1個小隊を配備しているのも、1982年のフォークランド紛争で諸島奪回がいかに大変かを思い知ったからです。しかしロシアの場合、財政難から北方領土に守備隊を配備するのが苦しくなってきたので、もし取られたら「ミストラル」を投入して奪回することを検討しています。今でもロシア側は日本が北方領土に武力侵攻してくることを大真面目に想定しているのです。つまり、ロシアはフランス製の高価な「ミストラル」を投入してまで、北方領土の防衛を計画しているわけですから、とても領土返還交渉を進める気などないとも言えます。
 ですので日本政府としては対露制裁に躊躇せず、またフランス政府に対して「ミストラル」を売らないように働きかけないといけないのですが、まだここにはジレンマが存在します。もし2隻の引き取り手がいなくなったら、次にどこが手を挙げるかを考えておかないといけないからです。これが中国に渡るようであれば、余計に厄介な話になりますし、現実的ではないですが、日本が引き取っても中韓の反発を引き起こすことになるでしょう。個人的にはオーストラリアあたりが買い取ってくれるのがベストだと思うのですが。。。

「ミストラル」の行方は。。。_e0173454_22242366.jpg

               強襲揚陸艦「ミストラル」
# by chatnoir009 | 2014-03-19 22:23 | 国際情勢