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「魔法は探し求めている時が一番楽しい」


by chatnoir009
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戦争ダメ、絶対?

 安全保障関連法案は、昨年7月に集団的自衛権の行使を認める決定が行われて以降、国家安全保障局(NSC)の事務局である国家安全保障局(NSS)において外務・防衛のスタッフが法制化に尽力し、今月14日にNSC決定を経て閣議決定が行われました。本決定は、昨年の防衛装備移転三原則を定めたNSC・閣議決定に見られるように、日本の重要な外交・安全保障政策がNSCという新たな場所によって決定された、政治決定論的に極めて興味深い制度運用なのですが、世間の耳目は安保法案に「戦争法案」や「平和安全法案」といった感情的なレッテル貼りに集まり、NSCの運用については注目を集めず寂しい限りです。
 そこで本ブログで今回のNSCとNSSの制度運用について書こうとしたのですが、安保法案をめぐるマスコミの論調やテレビの報道を見ていてとても違和感を覚えたのでとりあえずはそちらの方からいきたいと思います。今回の安保法制をめぐる議論において、保守・リベラル陣営も「戦争は絶対悪」という原則を貫くだけで、戦争そのものへの思考が止まっているような印象でした。ここで古市憲寿さんの『誰も戦争を教えてくれなかった』(この本は賛否両論ですが)の表現を借りますと、日本の教育現場で戦争の問題は「戦争ダメ・絶対」で片づけられてしまっていますので、我々の戦争に対する基本的な認識というのは、太平洋戦争が基になっています。しかもその太平洋戦争もきちんと全体を学ぶわけではなく、空襲や物不足で悲惨な目に遭う一般市民、もしくは戦場における日本軍の蛮行といったかなり偏ったものとなっています。そこには戦争における戦略や戦術、情報や兵站といった視点は全くありません。
 もちろん一般市民が戦争に巻き込まれた場合、大変悲惨なことになることは十分に学んでおかなくてはいけませんが、そもそも戦争というのは軍隊と軍隊のぶつかり合い、最近では正規部隊と非正規部隊という非対称な戦闘もありますが、我々はそこのところは全くスルーしているわけです。ですので今回のように安保法案をめぐる議論が戦争と結び付けられる際、どうしても多くの日本人の脳裏には、「あの戦争」で市民が巻き込まれる悲惨な情景ばかりが想起されてしまうわけであります。よくテレビで「自分たちの子供を戦場に送るのか」というようなコメントも耳にしますが、その際、我々は自然と太平洋戦争の末期に召集され、命を散らしていく若者のイメージを思い浮かべてしまいます。
 しかし現状、日本がこの種の所謂「全体戦争」に巻き込まれる可能性は限りなく低いです。現代の戦争は、少なくとも先進国においては高度にハイテク化され、巡航ミサイルやドローンが多用されるような戦闘であります。確かにアフガニスタンやイラクにおいては一般市民が誤爆によって命を失うという事件も頻発しているわけですが、第二次大戦のように都市部を絨毯爆撃しているわけではなく、兵士や一般市民の死傷率は相当低くなっています。そもそも第二次大戦ですら死傷率は5%未満で、中世ヨーロッパで生じた宗教戦争のような殺戮からは程遠いわけであります。今や世界中の交通事故による死者が年間130万人程度だそうですので、死傷者の数では戦争よりもこちらの方がはるかに深刻な問題ではないでしょうか。
 もちろん戦争が局地戦に留まらずにエスカレーションした場合、大量破壊を生み出す可能性は否定できません。しかし戦争という行為を学び、理解することで、それを抑止したり、戦争の被害を最小限に留めることが可能になるということです。先ほど日本の都市が爆撃されるような戦争に巻き込まれる可能性は低いと書きましたが、それでも北朝鮮や中国が弾道ミサイルを日本に向けて発射する可能性は0ではありません。ですので日本政府はこれらの可能性を限りなく0に近づけるような努力をしなければならず、その一手が日米同盟の緊密化、つまりは安保法制の実現などにあるということです。
 どう考えても日本が国際情勢に背を向け、国内で平和主義を声高に唱えても、とても隣国のミサイル発射を抑止できるとは思えません。大昔の医療行為における祈祷の類と大して変わらないでしょう。医学も辛辣に病気と向き合うことによって発展してきたのです。安保法制によって日本が海外で戦闘行為に巻き込まれるようになる可能性も0とはいえませんが、個別自衛権のみで隣国を抑止できない以上、集団的自衛権によって各国との連携を深め、戦争を抑止していくことの方が現実的であります。
 現代の日本において誰も戦争など望んではいないでしょうが、戦争を絶対悪とし、思考停止に陥ってしまうことの方が遥かに危険だと思います。ですので日本の教育現場では観念的な平和論ではなく、戦争について学び、安保問題を論ずる際にも具体的な意見に立脚した議論が必要ではないかと考えます。
# by chatnoir009 | 2015-05-16 16:14 | その他
 報道によりますと、ISILでの邦人誘拐事件を受け、自民党内で対外情報機関設置の議論が始まったようです。今回は具体的な組織論はさておき、対外情報機関に必要な人材について少し考えてみます。ここで情報機関の任務といえば、情報の収集と分析になるでしょう。
 情報を取る任務に就くのであれば、外国語はもちろん、高いコミュニケーション能力が求められます。例えば大使館のパーティーなどに出向き、初対面の外国人と積極的にかつ長く話せるかどうかが重要です。長く話すのは、できるだけ会話の端々から断片的な情報を集めるためです。長く話すためには語学力はもとより、ウィットに富んだ言い回しや会話の引き出しの多さが必要になってくると思われます。欧米でも情報を取ってくるオフィサーはいわゆる「コミュ力」を徹底的に鍛えられ、魅力的な人物として振舞うことを強いられます。ジェームズ・ボンドが簡単に女性を口説けるのは、ある意味正確な描写かもしれません。日露戦争時、日本に貴重な情報を送り続けた明石元次郎陸軍大将は、まさにこの種の典型で、語学力を駆使して各国大使館のパーティーで情報を集め続けたそうです。ただこういった人材を集めるのは、現行の制度では難しいでしょう。
 片や情報を分析する部門であれば、学究肌の人材が求められることになります。こちらも語学ができることが最低条件ですが、一日中、外国の新聞やテレビをひたすら観続け、報道のトーンに僅かな変化がないか見極めたり、テレビに登場する外国人の訛りから出身地を限定できるような能力が必要になりますが、こちらもなかなか一般の公務員試験では得難い才能ではないでしょうか。
 ただ個人的に一番大事だと思える資質は、確固とした国家観だと思います。これがないと、自分のやっている任務に疑問を感じたり、金銭目的で機密を相手国に漏洩してしまうということが生じてしまうわけです。そして一旦相手側に籠絡されてしまうと、あとは悲惨な結末が待っています。大抵はスパイ罪で逮捕、もしくは相手国に亡命、最悪の場合は殺害といったところでしょうか。
 情報機関に求められる資質_e0173454_23285638.pngこの手の話で思い出したのが、最近読んだ『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』です。深谷氏は日中戦争中、陸軍憲兵隊員として中国に渡ります。そして戦後も中国で調査活動を続け、それが基で1958年に中国公安部に逮捕され、それ以降、20年近くも中国当局の洗脳、拷問を繰り返し受けることになります。中国側は深谷氏に日本軍のスパイであった事実を認めさせようとするのですが、氏は国への忠誠心だけを頼りに、中国側の要求を頑として認めようとしません。いつ終わるともわからない尋問や拷問を受け続ければ、普通の人間なら発狂しそうですが、氏は何とかそれに耐え抜き、1978年に特赦を受けて帰国されました。残念ながら今でもスパイの世界ではまだこのようなことが行われており、日本が対外情報機関を設置するということは、この世界に足を踏み入れるということになります。そうなるとこのような世界で生き抜けるほどのタフな人材をどうやって集めて訓練していくのか、という問題に突き当たってしまうわけです。
 戦後の日本は平和ボケしてしまったと指摘するのは簡単なのですが、では実際問題、日本人がISILなどの過酷な現実と向き合うためにはどうすれば良いのか、真剣に考えないといけません。上記の自民党の検討会でもそういったことも含めて議論されれば良いかと思います。
# by chatnoir009 | 2015-02-15 23:29 | インテリジェンス
 ISILによる邦人誘拐事件は大変痛ましい結果となってしまいました。思い返せば、2013年1月にもアルジェリアで邦人10名がテロの犠牲となり、その際にも色々な対策が打ち出されました。当時、政府検証委員は「在アルジェリア邦人に対するテロ事件の対応に関する検証委員会検証報告書」を作成し、現地での情報収集の不備を認め、外交官や防衛駐在官、また警察アタッシェによる情報収集の強化を謳っています。しかし残念ながらまた新たな事件が生じてしまったわけです。
 
 今回も問題になった点の一つは、現地からの情報不足にあるといって良いでしょう。原則論から言えば、外務省は国家間の外交を行う組織であり、イスラム国のような国家でない組織との関係は想定していないし、そこに入っていくことも難しい。警察は国内での犯罪捜査が主務であり、基本的には事件が起こらないと動けない。公安の秩序を維持するという名目で平時の活動も可能ではありますが、それは国内での話であって、やはり海外では自由に動けません。そう考えると対外情報機関は、平時から海外で活動できる上、相手とのバックチャンネルを構築することにも長けているわけです。また対外情報機関であれば、各国の対外情報機関と情報を共有することもできます。
 日本にも対外情報機関があればある程度の現地情報を集めることは可能ですが、情報機関を立ち上げ、世界中に情報要員を送ったとしてもいきなりは機能しません。恐らく10年単位の時間が必要になるでしょうし、今後、国内での議論も行われる必要があります。また組織の人員と予算をどれぐらいの規模にするかの問題もあります。2013年5月の『中央公論』の中で、自民、民主、みんなの党の超党派の議員が、日本貿易振興機構(JETRO、職員1553人、予算258億円)、独立行政法人国際協力機構(JICA、1827人、2037億円)と比較しながら、人員500名、予算200億円ぐらいで新たな組織を立ち上げることを提言しています。規模的にはこれぐらいから始めるのが妥当かもしれませんが、果たして500人ものスタッフをどこから集め、予算を付けるのか、というのは現実問題として相当ハードルが高い印象です。ただ全く策がないわけでもありません。
 恐らく今後、この種の議論で焦点となってくるのは、公安調査庁のあり方でしょう。公安調査庁は1500人もの職員を抱える、調査活動に特化した組織です。現在、公安調査庁の情報収集の対象は国内のみならず、外国も含まれています。同庁が発行する『内外情勢の回顧と展望』によりますと、その調査地域は朝鮮半島、中国、ロシアが中心ですが、中東・アフリカ地域や国際テロについても情報を収集しているようです。ただし公安調査庁は破防法に縛られているため、同法に触れそうな団体に対する調査権限しか持たないのが現状です。しかしオウム事件以降、国内に破防法を適用すべき団体などあまり見当たりませんので、個人的には公安庁から破防法の縛りを外し、平時から海外でも情報収集活動を行えるようにした方が有効ではないかと考えます。

 もう一点検討すべきは、米国のNSAのように、外国勢力の通信を傍受するような活動でしょうか。現状、海外で邦人がテロや誘拐にあった場合、まずは外務省による現地情報の収集や公開情報の収集、衛星による画像情報の収集などが思いつきます。しかしよくよく考えてみますと、ここには決定的に欠けているものが一つあります。そう、よく刑事ドラマで誘拐事件が起きると、警察が必ず行う電話の逆探の類による情報収集です。逆探がどれぐらい有効なのかはよくわかりませんが、やらないよりもやった方がマシだと考えます。最近ではテロリストが発する携帯の電波を収集し、ビッグデータ的に分析することで、根拠地などを特定するようなやり方も編み出されています。今後、日本国外でテロ容疑者の通信を傍受する活動ついてはそろそろ真剣に議論する時ではないでしょうか。
 ただ外国で日本政府の組織が通信傍受を行おうとすれば、幾つか法的なハードルがあります。警察の行う司法傍受は、日本国内での犯罪事件を念頭においており、その手続きも厳格であります。外国で通信傍受を行う場合、国内よりもハードルは低そうなのですが、法執行機関である警察は事件が起こってからしか対応できないため、平時の通信傍受は基本的に行えません。片や防衛省・自衛隊は平時から外国の電波通信を傍受していますが、これは「日本周辺の平和と安全保障のため」という確固とした目的があります。そうなると中東という地域ではこれまた難しいという現状があります。またNSAのようにネットから不特定多数の個人情報を集めようとすると、不正アクセス禁止法などに引っかかりますし、情報窃取にも問われてしまいます。ですのでとりあえずできるかどうかだけでも、法的な議論を進めていく必要があるかと思います。

 その他にも公開情報を継続的かつ徹底的に分析するような作業も必要不可欠なのですが、これら情報収集強化の対策は、危機管理のための基盤を整備する程度のことですので、また今回のような誘拐事件が起きた場合、速やかに解決できるようになるということではありません。特に日本が中東やアフリカ地域で情報を収集するのは困難でしょう。またISILばかりを気にしても、他の地域でテロが起きる可能性もありますので、対ISILの情報収集に特化してしまうというのも好ましくありません。
 重要なのは、日本が日頃から集められる情報を集めておき、いざという時には中東地域に強い外国の情報機関、今回の件でいえばイスラエルやトルコなどと情報交換を行えるような体制作りを整えておくことではないでしょうか。これらの国々の情報機関は情報収集のみならず、テロリストとの交渉役や人質の受け取り役も担ってきた実績があります。ただし彼らはタダで情報をくれるわけではありませんし、インテリジェンスの世界では金と情報の交換というのもあまり聞きません。基本的にこの世界は情報と情報の交換が基本ですので、日本も日頃から出せる情報を貯えておく必要があるわけです。いずれにしましてもテロとの戦いは世界中の国々が直面している問題ですので、各国の情報機関の間での情報共有が望まれているのだと思います。
# by chatnoir009 | 2015-02-05 22:57 | インテリジェンス

米国の対中政策と情報

 最近の報道によりますと、米太平洋艦隊の情報部長であったジェームズ・ファネル大佐がその職を解かれたようです。同大佐は29年間の軍歴のほとんどを情報任務、特に対中国海軍の分析にキャリアを費やしてきた対中軍事情報のプロフェッショナルで、中国海軍の台頭を度々警告してきた人物です。ところが本年2月の海軍協会の会議において、同大佐が「中国海軍は日本との短期集中的な戦闘によって尖閣諸島を奪取する準備を整えている」と発言したことが問題となっていました。現在の米国政府の公式な見解は「中国の平和的台頭を歓迎する」、「米国は尖閣問題では中立を堅持する」という建前ですから、この現役の太平洋艦隊情報部長の発言は物議を醸したわけです。現在の米海軍のトップであるジョナサン・グリーナート作戦部長も、政権の方針に沿って中国とは対話を重視した宥和的な姿勢を示していますので、海軍としてはファネル大佐のような「空気の読めない」職人気質の人物は庇い切れないということになるのでしょうか。
 しかし政権内ではCIAなどインテリジェンス・コミュニティーを中心に尖閣問題では対日支持を打ち出すべきであるとの声も根強く、中国をめぐっては対中宥和派と中国脅威派の間でかなりの意見の相違があるのではないかと推察しております。今回、脅威論の急先鋒であったファネル大佐が左遷されたことで、政権内の脅威派が後退しつつあるとの見方もできます。今回の人事について海軍はノーコメントのようですので、上記の話は憶測に過ぎませんが、いずれにしても対中脅威論者の情報部長が任を解かれたという事実は、中国側に対するアピールという意味で大きいでしょう。逆に日本にとっては痛恨事ではないでしょうか。
 また今回の人事は、中国との宥和ありきという政権の政策に従って、中国の脅威を強調するような情報分析を葬り去るといういわゆる情報の政治化というやつです。情報の政治化の問題は、2003年にもイラクには大量破壊兵器が存在するとした当時のブッシュ政権が、それに沿うような報告書を情報機関に無理矢理書かせたことでも知られています。ただ米国において常に情報の政治化が起こるかと言えばそうでもないですし、今回のケースと似たような事例は第二次大戦の終結時にも見られました。この時は、第二次大戦中に米英の同盟国であったソ連と戦後もやっていけるのか、という対ソ宥和派とソ連脅威派の間の議論になりました。当時はまだ1938年の対独宥和の失敗が生々しかったこと、そして多くの政策決定者や情報機関が揃ってソ連の脅威を訴えたため、政権は対ソ脅威論で固まることになります。
 イラクの場合、日本にとってはまだ対岸の火事で済みましたが、中国情勢だとそうもいきません。気が付いたら米軍の情報ポストがすべて対中宥和派になっていた、という可能性も無視できませんので、そうなると我々としてはやはり米国のインテリジェンスがどのような評価を下しているのかを常に見極め、有事に備えて自前の情報収集手段や分析手法をきちんと整えておく必要はありそうです。
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# by chatnoir009 | 2014-11-12 22:14 | インテリジェンス

誰よりも狙われた男

 ジョン・ル・カレ氏原作の『誰よりも狙われた男』を少し早目に鑑賞させていただきました。本作は現代のハンブルクを舞台に、ドイツの情報機関による対テロ調査活動を描いたもので、手に汗握るスリリングな出来となっています。
 ところで実際のスパイによるヒュミント活動は、冷戦の頃よりも今の方が格段に複雑になったと言われています。冷戦時代アメリカの情報機関がやっていたのは、モスクワに情報オフィサーを送り込むことと、ワシントンに送り込まれてくるKGBのオフィサーをチェックすることでした。つまり東西冷戦という特殊な事情の下では、相手がどこから来るか、何を狙っているのか、ということが大よそ推測できましたので、情報機関の側もそれに沿って活動すれば良かったことになります。
 ところが冷戦後、ソ連は崩壊し、西側情報機関の主な仕事は国際テロリストの監視になりました。テロリストの場合、決まった場所からやって来るというものではなく、グローバルに展開していきなり攻撃を仕掛けてくるという厄介なものですので、こうなりますとそれまでの情報活動では対処できなくなります。そこで世界中の情報機関が手を結び、テロリストの情報を共有し合いながら対処する、というのが冷戦後のやり方になっていきます。
 本映画もこのような複雑な国際テロ活動を追うドイツ当局の対テロ組織の実態を描くものです。故フィリップ・シーモア・ホフマンが演じる主人公は、昔気質の情報オフィサーで、なるべく相手の状況に配慮しながら慎重に情報活動を進めていくタイプですが、そのようなやり方ではなかなか結果を出すことができず、同じくテロ対策を進める連邦憲法擁護庁(BfV)との対立に発展していきます。さらにBfVの背後には、とにかく何でも情報が欲しいアメリカの中央情報庁(CIA)が控えており、冷戦後は西側間、もしくは同じ国の情報機関の間で複雑な縄張り争いが展開されていたことが描かれているわけです。対テロ活動だけでもスパイのゲームが複雑になったのに、さらにそれに身内同士の足の引っ張り合いが加わるので、冷戦後のスパイ活動は複雑極まりないわけです。ただ映画としての本作は、同じ原作者による『裏切りのサーカス』と比べると理解しやすく、『サーカス』の方は何度見ても難解でしたが、こちらは一度観れば十分だと思います。
 ちなみに『サーカス』では「国家への忠誠と裏切り」がテーマだったように理解したのですが、『誰よりも狙われた男』のテーマとは何だったのでしょうか。見方によってはアメリカやイラク戦争に対する批判のようにも見えます。特に最後のシーンのその後は映画では描かれませんでしたが、恐らく悪名高い囚人特例引渡しに繋がると想像されます。これはCIAによる違法な人権侵害であり、作品内で批判されたロシアによる拷問とそれ程変わらないものであります。そう考えればアメリカ批判とも解釈できますが、もう少し普遍的なテーマを考えてみますと、やはり本作も国家への忠誠心というところに落ち着くのではないかと。つまり情報機関で働く人間は、法律すれすれのこともやらないといけませんし、時には自らの身に危険が及ぶこともあります。そこまでして任務を遂行するのはやはり自分が国家や国民の安全のために働いているという矜持がなければ難しいのではないでしょうか。

 日本にも対外情報機関を、という声も高まっていますが、組織を作っても職員にきちんとした国家観を持たせることができなければ、それは上手く機能しません。国家観がなければ、自らの任務に疑問を持ったり、敵方に買収されたりする可能性が付きまとうからです。戦前の陸軍中野学校もこの点を重視し、教育の段階で国体学を念入りに教えていたそうです。
 中野学校で特筆すべきは、戦争が終わり、所属していた帝国陸軍というものが解体されても、中野生たちが海外で情報収集や秘密工作活動に従事し続けていたことでした。戦後29年間、フィリピン・ルパング島で活動を続けた小野田寛郎氏のように、戦後も朝鮮半島から中国大陸にかけて、現地人として生きた中野生は少なくなく、彼らは日本の復興のために現地の情報をひたすら送り続けたとも言われています。このようにスパイとは、人に知られることなく国のためにひたすら尽くす職業ですので、任務に耐えるためには確固とした国家観が必要になってくるといえます。
# by chatnoir009 | 2014-09-22 23:51 | その他