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The Brink of Apocalypse

 昨年1月、イギリスのチャンネル4で、The Brink of Apocalypse(終末へのカウントダウン)という番組が放映されたのですが、当時私は日本におりましたので、これを観られずに悔しい思いをしておりました。ところが最近、元CIAのベン・フィッシャー氏から、このプログラムを見せてやると誘われましたので、渡りに船と参加してきました。ちなみにフィッシャー氏もさりげなくこの番組に登場されていますので、番組のデータを持っておられたようです。氏は、機密の一杯詰まっていそうな自分のノートパソコンをモニターに繋いで鑑賞会を開いてくださいました。
 本番組は、1983年に米ソの軍拡競争が再加熱し、核戦争の一歩手前までいった状況を、当時の映像や関係者のインタビューによって再現しています。事の発端は、1983年3月に当時のレーガン大統領がソ連を名指しで「悪の帝国」と発言したことをきっかけとして米ソ関係が硬直化し、さらにアメリカ、NATO諸国が「エイブル・アーチャー」と呼ばれた対ソ軍事演習を行なったことにありました。これら一連の挑発行動はソ連側指導者をいたく刺激することになります。その結果、それまで進められていた中距離核兵器制限条約交渉も行き詰ってしまいます。世界終末時計が示していますように、1983年の状況は、核戦争の危機が騒がれたキューバ危機の時よりもさらに悪化していたわけでありまして、1983年9月には大韓航空機撃墜事件として緊張は一気に顕在化します(そういえば「北○の拳」の連載開始も1983年でしたね)。さらにその3週間後には、ソ連の早期警戒衛星がアメリカから飛翔してくる核ミサイルを捉え、警告を発することになります。これはもちろん衛星の誤報であったわけですが、あと数十分で核ミサイルがソ連に着弾するかもしれないという状況で、現場は混乱します。この時、現場の責任者であったスタニスラフ・ペトロフ中佐はこれを誤報と断定し、軍規違反を覚悟してソ連側からのミサイル発射に辛うじてストップをかけたわけであります。
 しかしこの誤報騒ぎの後も、米ソ関係は改善するどころか悪化し、まともな外交交渉も行なわれなくなるため、お互いの意図を探ることすら困難となります。当時KGBのナンバー2であったウラジミール・クリュチコフ氏は番組のインタビューに答え、今でもアメリカが核戦争を始める気であったと信じており、エイブル・アーチャーの完了する11月には開戦の可能性があったと示唆していました。そして双方が疑心暗鬼の状況となったのですが、米ソはインテリジェンスによってお互いの意図を探ろうとします。西側はイギリス・MI5が二重スパイとして雇っていた、KGBロンドン支部のオレグ・ゴルディエフスキーを、ソ連は東独の情報機関、シュタージが雇っていたNATOの高官、レイナー・ラップ(コードネーム;トパーズ)を使ってお互いの意図を探ります。ゴルディエフスキーはMI5、CIAに対して、ソ連指側導層が西側のエイブル・アーチャーに戦争の脅威を抱いているということ、ラップはKGBに対して、西側には戦争を始める意図はないと伝えることに成功します。そしてこのような双方のスパイの働きによって、世界は核戦争の危機から脱することになるわけです。
 本番組は偶発事故による核戦争の恐ろしさを存分に伝えてくれますが、やはりインテリジェンスによるネットワークというものも、外交関係が機能しない場合の安全弁として日頃から構築しておく必要があります。例えば、アメリカとイスラエルの関係の場合、機微な外交問題は大抵、CIAとモサドのラインで話し合われるそうです。CIAもモサドも双方の最高権力者に直結する組織ですから、外交当局を通すよりも都合が良いということでしょうか。我が国も、例えば公式に外交関係のない国であっても、インテリジェンスのネットワークを有しておけば、いざという時にそれが機能することも考えられるわけです。
 そういえばウェブ上で本番組がアップされているのを見つけましたので、興味のある方は一度お試しください。
# by chatnoir009 | 2009-05-13 23:12 | その他

CIISS

 予告していましたように、4月30日から5月2日にかけて、ウェールズのGreynog というところで、アベリストウィス大学CIISS(インテリジェンス・国際安保障研究センター)の主催による、インテリジェンスの大会が開催されましたので参加してきました。今年、2009年は、MI5、MI6創設100周年記念の当たり年ですので、各地でこのような大掛かりな大会が開催されています。CIISSのお題も、“100 Years of British Intelligence: From Empire to Cold War to Globalisation” ということで、主にイギリスのMI5、 6やJIC(合同情報委員会)といったものに焦点を当てた大会となりました。
 しかし相変わらず、アベリストウィスへの道のりは遠く険しいものであります。今回、同地を訪れるのは2回目になりますが、それでも途中の移動にはうんざりします。またアバ方面は電車の本数もかなり少ないので、結構途中で顔見知りに会ったりもします。バーミンガムの駅でぼけ~とつっ立っていたら、JICのオフィシャル・ヒストリアンである、キングスのマイク・グッドマン博士に声を掛けられました。さらに電車の中では、MI6の研究で有名なフィル・ディヴィス教授にも出くわしてしまいました。ちょうど先月、ぎっくり腰のために教授のシンポに穴を開けてしまっていたので、この偶然の再会には冷や汗ものでしたが、「大変心の広い」教授は、そんなことは全くお構いなしに最近の自分の研究について話しておられました。そして最後に一言、「原稿は必ず5月中に」と。・・・そうでした、私、教授の共著に寄稿する約束だったんです。教授の気迫に押された私は、つい「こ、今度こそばっちりですよ~」と心にもないことを言ってしまいました。
 会場のGreynog はそれは素晴らしい、ウェールズの田園風景のど真ん中にありました。このK田一少年の事件簿の舞台になりそうなマナーハウスに3日間こもって、ひたすらインテリジェンスの議論をしようというのですから、イギリスでのインテリジェンス研究の熱心さが窺えます。ケンブリッジのアンドリュー教授も、「毎回ここに来るのを楽しみにしている」とおっしゃっていました。参加人数は100名強ほどでしたでしょうか。大多数の参加者は、ケンブリッジ、キングス、アベリストウィス、ブルネルの関係者だった感じですが、その他、EU諸国はもちろんのこと、イスラエルやアメリカ、カナダ、オーストラリアからの参加者もちらほらおり、これは情報史研究の分野において、イギリスが世界の中心であることを物語っているような気がしました。あと学生はほとんどいませんでしたが、実務者の方も何人か見かけました。
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 3日間のプログラムについてここで延々と書くわけにもいきませんので、いくつか印象に残ったものを取り上げますと、やはり最初の基調討論会が最も豪華なものでした。これは英米政府公認のオフィシャル・ヒストリアンである、クリストファー・アンドリュー (MI5)、キース・ジェフリー (MI6)、マイク・グッドマン (JIC)、ローレンス・フリードマン (Falkland War)、マイケル・ワーナー (CIA) らによる討論会で、各々がオフィシャル・ヒストリーを書く意義や、その苦労話についていろいろとお話しされていました。話の内容はどれも大変興味深かったのですが、秘密のベールに包まれていたJICのオフィシャルは2010-1年出版予定になったこと、MI6のオフィシャルは2巻構成で、第1巻が1909-39年、第2巻が1939-49年までを扱うということを知りました。またCIAのオフィシャル・ヒストリアンであるワーナー博士は、最近のヴェノナ文書にも言及され、まだ公開していない文書が大量に眠っており、これらの公開については未定であるそうです。
 今回、私は単なる一聴講者として参加していましたので、お気軽なものでした。アメリカの暗号研究の第一人者であるデヴィッド・カーン博士と、実際に暗号解読に携わられ、現在は研究者として名高い、マイケル・ハーマン教授などが激しく議論されているシーンなどを拝見していて、「まるで竜虎の戦いだなぁ」などと能天気になっておりました。ところが2日目にはカルガリー大学のジョン・フェリス教授による、1940年代のイギリスの極東インテリジェンスに関する報告があり、教授は過去に私が書いたものを取り上げ、「1941年の極東におけるインテリジェンス能力は、日本>イギリス>アメリカの順ではなかったのか?」とのんびり構えていた私に議論をふっかけられましたので、私も否応なしに討論に参加する羽目になってしまいました。私は、それはちょっと日本を過大評価しすぎなのでは、ということと、前回、シンガポールの項でも書きましたように、コミンテルン要素も考慮しなければならない、ということを指摘しておきました。
 またJICに関しても、グッドマン博士やハーマン教授、ディヴィス教授などによる報告があり、興味深いものでした。特にディヴィス教授の報告はアメリカ流の政治学の手法でJICの変遷を詳細に分析したものであり、今後の研究を進めていく上で大変参考になったと思います。
 今回、3日間、研究者や実務家と顔を突き合わせていましたので、かなりの方と意見交換する機会にも恵まれました。やはりこういう場では、英語で書いた論文や著作がものを言います。これが日本ですとまずは「〇〇大学の〇〇です」と言うわけですが、こちらではあまりそういった話にはなりません(大学院生であれば、「〇〇大学の〇〇先生がスーパバイザーです」という話は聞きますが)。ましてウェールズまで来て「日本の〇〇大学の者です」と言っても多分全く話が通じないと思います。以前、オクスフォードやケンブリッジでのちょっとした立ち話の折、「この間日本から〇〇という教授が来て講演をしていったが、彼は日本では有名なのか?」という話になりまして、その方のお名前を伺った所、日本では大変高名な政治学者の方であることが判りました。ところがこちらでは英語で書かれたものがないということで、「結局彼はどういう研究者だったのだろう」、というような話になったそうです。
 今回の大会を通じて、イギリスのインテリジェンス研究のレベルの高さを再実感しました。以前は「日本の研究水準もいつかイギリスのように…」と無邪気に考えていましたが、どうもこれは叶わぬ夢となりそうです。

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「オフィシャル・ヒストリアン全員集合」の図
# by chatnoir009 | 2009-05-05 02:56 | インテリジェンス

研究会@ケンブリッジ

 4月24日から25日にかけて、ケンブリッジ大学でインテリジェンスのシンポジウムが開催されました。と言いましても私はうっかりとこのイベントを失念しておりまして、不覚にも行き損ねたのでありますが、あらためてプログラムを見ますととても魅力的なものに写ります。どうも色々なインテリジェンスのグループからひっきりなしにプログラムが届けられますので、情報を整理しきれずに消化不良を起こしているようです。
 このシンポは「帝国とインテリジェンス」と題され、中東からアジア、アフリカに至る大英帝国の統治政策とイギリスのインテリジェンス活動について、19世紀から1970年代という広いスパンで眺めたものです。恐らく簡単に言いますと、なぜ大英帝国があれ程長期間、広大な土地を制することができたのか、その理由の一つをインテリジェンスの働きに求めようとしたものでしょう。
 出席もしていない私がこれについてくどくどと述べるわけにはいきませんが、昨今のイギリスにおける情報関連資料の公開は、このようにインテリジェンス研究にさまざまな視座を与えてくれます。恐らく今回のイベントもその内、論文集か何かの形では読めるようになると思いますが、イギリスにおける学術的なインテリジェンス研究の発展は、今やそれをフォローしていくだけでも大変であります。
 しかしプログラムを拝見していますと、ウォーリック大学のリチャード・オルドリッチ教授はとうとう1970年代の中東までやり始めたようです。元々教授は戦前の東南アジア地域研究者だったのが、戦前の日英のインテリジェンスを描いた「日米英諜報機関の太平洋戦争」を皮切りに、戦後の東南アジアにおける対共産主義活動等に関する分厚い研究書を次々に出版され、とうとうここまでたどり着かれたようです。恐るべき筆の速さですね。
 今週はアヴェリストウィス大学でもインテリジェンスの大会がありますので、こちらは忘れずに出席してこようと思います。
# by chatnoir009 | 2009-04-29 00:21 | インテリジェンス

クラブ

 最近、友人に招かれ、二度ほどクラブに足を踏み入れました。ここで言う「クラブ」とは日本で言うところのクラブではなく、英国特有の社交・親睦の場である「紳士クラブ(gentlmens club)」になります。現在、ロンドンだけでも百近いクラブがあると言われていますが、最初に私が招かれたカールトン・クラブは、1832年にトーリー(保守党員)のために設置された大変格式の高いものでした。内装の豪華さは言うに及びませんが、やはり保守党御用達らしく、19世紀に活躍したダービー伯から最近のサッチャーまで、怱々たるメンバーの絵画が所狭しと飾られており、それだけでも圧倒されてしまいました。
 元々このクラブは、トーリーが1832年の選挙法改正を阻止できなかったことを反省し、党員の結束を強める目的で設置されたわけです。従ってカールトン・クラブでは過去様々な政治家の会合が開かれてきました。例えば本クラブは、1922年10月19日に保守党の政治家達が、彼らの指導者にあたるオースティン・チェンバレンに反旗を翻し、ロイドジョージとの連立を解消した、政変の舞台となったことで知られています。また1990年にはIRAの爆弾テロの標的とされ、実際に被害に遭っています。日本で言えばカールトン・クラブは、一見さんお断りの高級料亭にあたるのでしょうか(よく知りませんが)。
 二度目は、日英同盟が調印されたことで有名な、ランズダウン・クラブへの招待を受けました。ここはカールトンの近く、高級住宅地メイフェアのど真ん中に位置するクラブですが、カールトンに比べるとカジュアルで、あまり緊張せずにすみます(とは言え、内装はアールデコ調のとても上品なものです)。一階の部屋には、この部屋で同盟が調印されたとごく控えめな説明が掲げられていました。今ではバー兼歓談室となっているようです。またこちらは外国人でも会員費用さえ払えば会員になれるようです。
 このような内々のクラブで腰を落ち着け、酒を飲んだり食事をしながら会話をすると、イギリス人から色々な本音のようなものが聞けるわけです。これがパブだと大抵はフットボールやラグビーの話になり、応援するチームが違うと険悪なムードになったりするのですが(これはその辺のパブでもホワイトホールのパブでも全く同じです。ちなみに私はアーセナルを応援しています)、さすがにクラブではどう持っていってもフットボールの話にはなりません。政治ネタが多くなります。例えば保守党員にとってのチャーチルやサッチャー評とか、英米の特別な関係というのは幻想に過ぎないとか、そんな話を窺い知ることができます。
 ロンドンにはこのような会員制クラブがたくさんあるわけですが、その中には軍人のクラブやインテリジェンスのクラブもあり、そこでは毎晩のようにその筋の人々が集まって、表ではできないような話をしているそうです。インテリジェンスに関しては、カールトンクラブのすぐ近くにある、リフォーム・クラブの中に、Cryptos という集まりがあり、そこに関係者達が集うそうです。
 研究のために外交やインテリジェンスの資料を読んでいても、当事者たちの皮膚感覚までなかなかたどり着けていないのかな、とたまに思うことがあります。私もささやかな読書のみで英米の「特別な関係」を信じていた無邪気なクチですが、それを実際に実務で経験された方から、「そんなものは幻想に過ぎない」などと言われてしまうと、考え込んでしまうわけであります。恐らく、インテリジェンスの分野は不明瞭な部分が多いですから、やはり現場の感覚というのは資料を読む上でも重要になってくるのではないでしょうか。
 私もいずれ機会があればリフォーム・クラブにも潜入してみたいのですが、クラブに参加するためにはまず会員の知り合いを作ることが必要ですので、そこはやはり個人的なインテリジェンスを駆使して情報を集めていく必要がありそうです。
# by chatnoir009 | 2009-04-22 01:28 | その他

Ghost in the Shell

 こちらではしばらくイースターの休暇でした。日本でもそうですが、連休中には旅行など、外に出かけるものではありません。この機会に私は日本男児らしく(!)攻殻機動隊の「Stand Alone Complex」と続編の「S.A.C. 2nd GIG」52話分をすべて堪能し直しました。色々なところでも話題になっていますが、日本でDVDボックスを買うと、2シリーズ分で6万円近くかかるのですが、こちらで買うとなぜか30ポンド(4500円)ほどです。この価格差が生じる理由はよくわかりませんが、迷わず大人買いして観続けました。オープニングだけは英語版としてリメイクされているようで、若干違和感がありましたが、ちゃんと最後にもタチコマの日々が付いております。今回観直して色々と気づくことがあったのですが、1期目はやはり社会学の観点から見ると面白いのでしょうか。私はその辺は疎いのであまりわからないのですが、まさか大澤真幸先生に言及されていたとは、前回の視聴ではすっかりと見逃しておりました。
 私の専門から言えば、2期目はより興味深いものです。まずは政府における各省庁のつばぜり合いが、極めてリアルであります。特に官邸で、警〇、外〇、防〇、海〇が縄張り争いと責任の押し付け合いをするシーンなど、どこかで聞いた話だと思わず苦笑してしまいました。公安9課を除くと、他の組織は結構現実に近い編成です。シリーズでは内チョウの権力が相当強く描かれていますが、実際の所はあれ程強力かつ秘密の組織ではありません。予算、人員、権限、情報力から見ますと、私のイメージは、警>外≒防≧内≧公、といった感じになっているのですが、これはあくまでも私のゴーストがそう囁いているにすぎません(笑)。
 あと難民問題ですが、あのテーマは私の最近の関心から、パレスチナ問題、特に1987年のインティファーダ(民衆蜂起)を髣髴とさせました。これはイスラエルのガザ地区、及びヨルダン河西岸地区で、パレスチナ人の一斉蜂起が生じ、最初の1年間だけで2万人の逮捕者と4000人の死傷者を出してしまい、イスラエルの公安機関(シャバク)の手には負えなくなって、イスラエル政府が国防軍を投入してこの蜂起を力でねじ伏せようとした事案であります。この時、「2nd GIG」で描かれたクゼのような人物は登場しませんでしたが、国外からこの暴動を操っていた人物は、PLOのアラファト議長の右腕であったアブ・ジハドであったといわれています。アブ・ジハドは当時、北アフリカのチュニジアから、ガザや西岸地区に暴動の指令を出していたそうです。これは劇中では、プロデューサーの役割を演じたゴウダに近い役割です。
 そこでイスラエル政府は最終的な解決策として、混乱の原因と見なされたアブ・ジハドの排除を試みます。1988年4月16日深夜、チュニジアに潜入したモサド及び国防軍の特殊部隊が、アブ・ジハドを秘密裏に暗殺することになります。アブ・ジハドも武器を持って反撃を試みましたが、特殊部隊の狙撃によって銃を持っていた腕は吹き飛ばされ、一発の反撃すらも許されなかったそうです。まさに事実は小説よりも奇なり、といったところですが、こういったことを調べれば調べるほど、モサドの特殊工作チーム、「キドン(バヨネット)」と公安9課がダブって見えてしまうのです。
# by chatnoir009 | 2009-04-18 21:50 | その他