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 イギリスのインテリジェンス研究者界隈では幾つか有名な研究会があるのですが、その中でも最も大きなものが、ケンブリッジ大学が中心になって運営しているSGIになります。元々は同大学のクリストファー・アンドリュー教授が中心になって開催されていましたが、その内、お弟子さん筋や他大学の研究者、さらには実務家なども合流し、イギリスのインテリジェンス研究の中心的な役割を果たすまで至っています。私も都合が合う限りできるだけ顔を出すようにしているのですが、なかなかタイミングが合わず、ここ数年はすっかりご無沙汰になっている状況です。しかし今回はGCHQのオフィシャル・ヒストリアンに任命されたジョン・フェリス教授の報告が聞けるという事で、1月ぐらいから楽しみにしていたのですが、色々な雑務が積み重なってその処理に四苦八苦している内に、すっかり頭から抜け落ちておりまして、ロンドンに滞在していながらケンブリッジに行くのを忘れてしまう、という大失態を演じてしまった次第であります。
 そもそもGCHQはイギリスの通信傍受組織でありまして、情報組織としては最も秘匿度の高い組織であります。MI6やMI5が公式史を出版してもGCHQは絶対に出さないだろうと言われる程だったのですが、ついに英政府はフェリス教授を公式史家に指名して、公式史を出す決断を下しました。GCHQが公式史を出すということ自体も驚きだったのですが、その著者にイギリス人ではなく、カナダ人の同教授を指名したというのも個人的には驚きました。カナダは5Eyesの一員だから、という認識なのでしょうか。まぁ確かに、今のイギリスにフェリス教授に匹敵するような情報史家といえば、ウォーリック大学のリチャード・オルドリッチ教授ぐらいしか思いつきませんが、同教授は公式史家という考えには否定的な所があります。つまりオルドリッチ教授は学者が政府に忖度しつつ歴史を書くのはいかがなものか、という信念をもっておられまして、既に2010年、独自の研究によってGCHQという著作を発表されています。この研究書もかなり部内者のインタビューに頼っているところはあるのですが、それでも在野の研究者がGCHQについて書いたものとしては決定的な内容だと思います。ですので、フェリス氏がGCHQの公式史を書くと当然、このオルドリッチ版と比べられるわけでして、そこはかなりのプレッシャーかと思います。
 そういった事情もあり、色々と聞いてみたかったので、SGIに参加するつもりだったのですが、何故か頭からすっぽりと抜け落ちていました。帰国して、たまたまフェリス教授からメールをいただいて思い出した次第で、慌てて幾つか質問を投げかけたところ、とりあえず今年の11月には本が出版されるのでまずはそれを読んで欲しい、とのことでした。今度こそ忘れないようにゲットしないといけません。。。

# by chatnoir009 | 2019-03-21 15:16 | インテリジェンス

芳華

 翻訳家、樋口裕子さんのお招きで、フォン・シャオガン監督の『芳華』の試写会に参加してきました。本映画は1970年代の中国人民解放軍の歌劇団・文芸工作団(文工団)に所属する若者たちの青春群像劇をテーマとしています。「文工団」はあまり馴染みのない組織ですが、自衛隊でいえば音楽隊にあたる組織でしょうか。その任務は最前線で戦う兵士たちに、音楽や劇で潤いを与えるというものであります。ソ連同様、共産主義国というのはこういった文化行為にとても力を入れますので、文工団というのはほとんどプロの歌劇団のようなものですね。そして青春群像劇の横糸として、1979年の中越戦争や90年代の改革開放という時代の流れが組み込まれ、1950年代後半に生まれた中国の若者たちがどのような青春時代を過ごしてきたかがよくわかる内容でした。もちろん一般の若者に比べると、文工団の団員たちは恵まれた環境にありますので、ある種、特権階級的な所もあります。また監督自身もこの文工団で青春を過ごされたということで、その思い入れが映画に反映されているのだと思います。
 文工団といっても軍隊組織ですので、戦闘とは無縁ではいられません。本映画内での中越戦争の描写などは、『プラトゥーン』ばりの酸鼻を極める描写でしたが、中国人からは同戦争がこう見えていたのか、といったある種新鮮な視点でした。映画全体を通して受ける印象は、青春の甘酸っぱい気持ちというのはどの国でも変わらないものだ、というものでして、日本人が観ても全く違和感のない素晴らしい出来栄えだと思います。  

# by chatnoir009 | 2019-02-15 22:05 | その他

戦間期の空爆禁止議論

戦間期の空爆禁止議論_e0173454_13164532.jpg 130日に「武器と市民社会研究会 」において、戦間期の空爆禁止議論について報告させていただきました。以前、イギリスに留学していた頃に戦略爆撃についてかなり調べたことはあるのですが、空爆禁止議論については初めてでしたので、この1年ぐらいは寝ても覚めても空爆禁止の話が頭の中をよぎっていた状況です。空爆禁止議論とは、航空機の発達によって市民に対する無差別爆撃が可能となりつつあった1920年代に、世界中の世論が空爆行為の禁止と爆撃機の廃止を望み、そのために各国がジュネーブにおいて、空爆を含む軍縮議論を行いました。この顛末についてはよく知られていますが、結局英仏など当時の列強が軍縮を良しとせず、それに不満を抱いたドイツが連盟を脱退して再軍備に踏み切るという結果に終わっています。後知恵的に言えば、英空軍が航空兵力を縮減しなかったことで、後でナチス・ドイツの脅威から国を守ることができたのですが、当時、英政府の態度は世論から猛攻撃を受けます。

例えば19331025日のロンドン、フラム・イーストでの補欠選挙では、同地区が保守党の牙城であったにも関わらず、平和主義的な労働党の候補が当選し、当時のマクドナルド政権に衝撃を与えました。これは後に「平和のための補欠選挙」として知られるようになります。また19351020日には、ロンドン郊外のウッドフォードグリーンに「空戦反対記念碑」が設置されていますが、この碑はジュネーブ軍縮会議において、爆撃の禁止に消極的であったイギリスの政治家や軍人、外交官に対する痛烈な皮肉でありました。ではなぜイギリス政府はこのような世論の反対を押し切って、軍縮に向かわなかったのか、というのが論点になってくるのですが、これは今、論稿として纏めている所でして、近日中には発表できるかと思います。

他方、インテリジェンス研究においては、なぜ英空軍がドイツの空軍力を過大評価したのかがよく問題になります。1930年代後半、英政府は戦争を回避するために対独宥和政策を採ったのですが、この政策の背景には、戦争になればドイツ空軍の戦略爆撃によってロンドンを始め、イギリスの各都市が甚大な被害を受けるという危機感がありました。ですので193991日に第二次世界大戦が勃発すると、イギリスは夜間爆撃を恐れて灯火管制を敷き、市民に防毒マスクを配ったといわれるほど過剰な反応を見せています。今回、爆撃禁止議論にまつわる空軍省の資料に目を通していると、戦間期の英空軍は一貫して被爆撃の脅威を強調しています。1920年代にはフランス空軍を仮想敵国とし、仏爆撃部隊がロンドンに対して空爆を行った場合、開戦1週間で1.8万人の市民が死傷するとの試算を出していますし、1930年代に入ると今度はドイツ空軍の脅威を過度に強調するようになります。

この空軍の警告が功を奏してか、193435日、英帝国防衛委員会は陸海軍備よりも早急に空軍力の増設が必要と判断し、718日の閣議において、今後5年間で空軍力を大幅に増設する「A計画」が了承されています。ただこの背景には英空軍の組織や予算拡張の目的があったことも事実です。空軍は陸海軍に比べると規模の小さな組織でしたので、常に取り潰しの危機にありました。ですので他国からの空爆の脅威を強調することで、何とか組織を存続させようと試みていたのかもしれません。

しかしインテリジェンス研究の分野においてこれは「情報の政治化」と呼ばれる現象であります。インテリジェンスとは事実を論理的に積み上げた結果のものでなくてはならないのに、政治的な意図によって都合の良い情報を恣意的に使うのがこの現象であり、あまり好ましいものではありません。しかし歴史を紐解けば、冷戦期には米軍がソ連の核戦力を過剰に見積もっていますし、今も北朝鮮がどれぐらいのミサイルと核弾頭を保有しているのか確実にはわかりません。つまり相手国の軍備を正確に測るのは情報機関といえどなかなか困難ではありますが、どちらかといえば過大に算出してしまうのがこの世界の常のようです。




# by chatnoir009 | 2019-02-02 22:22 | インテリジェンス

 最近、とある魔術の大学院生の方から、「国際政治学や外交史とインテリジェンス研究はどう違うのでしょうか」と質問を投げかけられ、少し考えた次第であります。確かに私自身も外交文書や政治家の個人文書を読みながら「情報史」を書いておりまして、そこはあまり深く考えずにやっておりました。これまでは情報機関の文書を調べて、それを従来の外交史にはめ込んでいる、という程度の認識でありました。この点について中西輝政教授は、「情報史とは、情報史・資料を主要な根拠として歴史の過程(多くは国際関係の歴史)を明らかにしようとする研究である」と定義されており、これはまさにその通りだと思います(中西輝政/小谷賢編著『インテリジェンスの20世紀』11頁)。
 ただ難しいのは、情報機関の資料は簡単には公開されないということです。特に通信傍受の記録は秘中の秘とされており、1917年のツインメルマン事件(イギリス情報部がドイツの暗号を解読し、アメリカ政府に提供した事件。これによってアメリカは第一次世界大戦に参戦した)の記録が公開されたのは何と2005年になってからでありまして、30年が目安とされている外交文書と比べると非公開の時期が大変長いわけであります。そうなるとインテリジェンス史家は、外交文書や政治家の個人文書などから、インテリジェンスに関わる断片資料を血眼になって集める必要性があります。そのように手法によって1985年、ケンブリッジ大学のクリストファー・アンドリュー教授が、Secret ServiceというMI6の歴史を、MI6の資料を使わずに描かれたことはインパクトが大きかったわけであります(しかも619頁!)。このような研究の登場によって、英政府も徐々に考えを変え、最終的に情報機関の公文書公開に踏み切る決断に傾いていきます。
 ですので政府に対して「情報を公開せよ!」と迫ることも大事ですが、アンドリュー教授のように政府が保管しているはずの情報の外堀をすべて埋めてしまうと、秘密にしている意味合いが薄れてしまいます。イギリスではこれを「歴史の失われた断片」と呼びまして、ちょうどパズルを組み立てていって、最後の足りない1ピースがインテリジェンスの資料にあたるということです。私も微力ながら研究仲間と一緒になって、1941年にイギリスの情報機関が在英日本大使館の電話を盗聴していたはずだと、色々な資料を使って論じてきました。その結果かどうかはわかりませんが、英政府は2013年になってようやく大使館の盗聴記録を公開するに至ったわけであります。
 話が横道にそれましたが、実際問題、情報機関の資料のみを使用して情報史を描くのは極めて困難なわけであります。正直、資料の何割かが情報関係資料なら良い方かと。そこで最初の問いかけに戻るのですが、むしろインテリジェンス研究はその対象についてもう少し考慮する必要があるかと思います。これまでの経験上、インテリジェンス研究の多くは、情報組織の情報収集、分析、情報の活用、情報組織論等々を扱っております。これを一言で無理やり纏めるならば、インテリジェンス研究とは「インテリジェンス(情報)」を中心に据えて、それを取り巻く国際関係や外交、政策決定を論じていくものであると。これはつまり、政治学が「権力」、経済学が「貨幣」、外交史が「国益」というものを研究の中心的なテーマに据えているのと同じく、インテリジェンス研究は「情報」(サイバー分野なら「データ」)というものを中心テーマに据える、といった考え方で良いように思います。

# by chatnoir009 | 2018-12-21 21:00 | インテリジェンス

 2018年11月30日、フランスの対外情報機関DGSEと国防省が共同で主催するインテリジェンスの国際会議にスピーカーとして参加してきました。本会議は「フランス流のインテリジェンス研究・教育とは」というテーマが掲げれられていたのですが、これは歴史的アプローチを得意とするイギリス流と社会学的アプローチを得意とするアメリカ流のインテリジェンス研究に対して、フランスなりの第三の道を模索するというものであります。本会議はDGSE長官と軍の幹部も参加されるとのことで、テロを警戒して当日まで会場については非公開。私は「とりあえずパリのこのホテルに宿泊せよ」とのメールだけ受け取って、かなり不安な気持ちでパリまで出向いてきました。ホテルにチェックインすると、どこからともなく関係者が現れて、打ち合わせを行うというやや秘密めいた国際会議ではありました。
 私の参加したセッションは、インテリジェンス研究の国際比較ということで、アメリカ、イギリス、イスラエル、日本のそれぞれのインテリジェンス研究について報告し、議論するというものでした。フランスでインテリジェンスの会議が開催されるのはとても珍しく、私としても他流試合のようで落ち着かなかったのですが、やはり米英の知った人々が同じテーブルいると安心感があります。また日本が米英イスラエルという世界的に名だたるインテリジェンス研究大国と同じ土俵で取り上げられるというのは光栄でしたが、私が報告を行うと、やはりフランス側の落胆は手に取るようでした。DGSEとしては、米英イスラエルについては大体わかるので、できれば日本のインテリジェンス研究を参考にしてみたい、という期待もあったのでしょうが、日本では良く知られていますように、日本におけるインテリジェンス研究というのは21世紀に入ってようやく始まったような学問領域でして、日本の研究動向というのはほとんど皆無、教育もほぼゼロに等しい状況ですので、私も話しながら心苦しいものがありました。
 この報告のためにこれまでの日本におけるインテリジェンス研究を纏めてみたのですが、そのほとんどは実務家かジャーナリストの手によるもので、アカデミアの貢献がほとんどないことに今更ながら気が付いた次第です。そして最大の問題は、どの学問領域でもそうなのですが、英語による対外発信を行わない限り、世界的な認知度はかなり低くなるということです。これは裏返せば日本のインテリジェンス研究は国際的に競争するレベルに達していないことの証左でもあります。私が調べた限り、英文でインテリジェンスに関する論文を発表しているのは現状、橋本力氏(University of Sharjah)と小林良樹氏(内閣官房)ぐらいのもので、これではあまりにお寒い状況なわけであります。しかも大変残念なことに橋本氏は2016年8月に若くして亡くなっておられますので、世界的に通用する若手のインテリジェンス研究者がとても少ないというのが日本の現状であります。私に対する質問で印象に残っているのは、「本当に日本の防衛大学校でインテリジェンスの教育を行っていないのか」と何度も念押しされたことでありまして、これは諸外国にとってかなりカルチャーショックな事実のようでした。
 一日の会議を通して何となく見えてきたのは、フランスのインテリジェンス研究は英米の追随ではなく、独自の第三の道を行く、というものであります。具体的には、フランスのインテリジェンス研究は歴史や政治学のみならず、人文科学や社会科学、自然科学分野すべての学問領域を投入していくという野心的なものでありました。そのような試みが上手くいけば、将来的にはフランス流のインテリジェンス研究というものが構築されていくのだと思います。そしてDGSEの方々の発言の行間から何となく見えてきたのは、恐らくインテリジェンスの教育機関を立ち上げたいということなのだろうと。最初は部内用の教育機関、そしてそのノウハウを大学にも広げていきたいということなのでしょうか。我が国の場合は、当面は英米の亜流、つまりは歴史と社会科学を軸として、インテリジェンス研究を細々と続けていくしかないのかと実感した次第です。いずれにしましても国際比較のセッションは近々、共同論文に仕上げて発表する予定です。

# by chatnoir009 | 2018-12-12 12:12 | インテリジェンス