
原著は史上初めて日本のインテリジェンス・コミュニティーの通史を扱っているということで、大変貴重なものです。戦前の日本のインテリジェンス研究は最近になってそれなりの研究蓄積があるのですが、戦後のもの、特に冷戦以降になりますとほとんど研究らしい研究はありません。そこに日本の安全保障研究の第一人者であるSamuels教授が切り込んだということで、今後、本書は学術的なマイルストーンとなっていくでしょう。ただ日本のインテリジェンス史を米国の研究者が先に、それもかなりの内容のものを出してしまったというのは、個人的にはやや残念で、やはり日本人の手によるものが待たれます。実は私も書き進めてはいるのですが、日暮れて道遠し、といった状況ではあります。さらに今年の3月には豪州の研究者であります、Brad Williams博士がJapanese Foreign Intelligence and Grand Strategy という研究書を出版予定です。私も同書に推薦文(blurb)を寄稿するため、既に一読しましたが、こちらもかなりの内容で、日本人にはなかなか書きにくいこともきちんと書いてくれています。
興味深いのは何故、最近になって戦後の日本のインテリジェンス・コミュニティーの歴史が注目を集めているのかということですが、これは恐らく2012年の第二次安倍政権以降、日本の安全保障やインテリジェンスの体制が大きく改革され、それが注目を集めたことが大きいと思います。戦後日本のインテリジェンスの歴史を通観していて思うのは、1960年ぐらいまでは吉田総理・緒方官房長官のタッグで戦後インテリジェンス機構の構築が進むのですが、その後90年代ぐらいまでは完全に停滞の時期に入ります。私自身、調べてはいるものの、この時期、日本のインテリジェンス・コミュニティーに何があったのかいまいち良くわかりません。資料もなければ当時を知っている方ももういらっしゃらないので、調査を進めていくことが難しいのです。
日本のインテリジェンス体制に変化が生じるのは90年代後半からになります。この時期、防衛庁情報本部、さらには内閣衛星情報センターが設置され、21世紀に入ると数々のインテリジェンス改革の提言書が発表され、政府はそれを淡々と実行していきます。そして第二次安倍政権になりますと、日本版NSCの創設や秘密保護法の導入などで、一気に改革が進むことになります。またこの時代は政府関連資料や新聞、国会議事録、関係者の証言等、多くの情報がありますので、90年代以降についてはそれなりに研究を進めやすい、ということになり、Samuels教授やWilliams博士のような海外の研究者が書かれているわけです。ただ両者とも日本の政治や安全保障政策には詳しいものの、日本人の我々とはやや異なった観点も持っておられます。一般論ですが、欧米における日本のインテリジェンスのイメージというのは、「日本人は忍者の末裔だから隠密活動が得意だ」とか「日本の戦後復興は日本政府の経済インテリジェンスが功を奏したからだ」というもので、これは普通の日本人の感覚からすれば「?」という話になります。また省庁間や省庁内の微妙な組織力学や相場観というのは、そこにいたからこそわかる、という話もありますので、やはり日本人の手による戦後日本のインテリジェンス史、というのも必要なのでしょう。




