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「魔法は探し求めている時が一番楽しい」


by chatnoir009
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Agent Shinkawa Revisited

 Ron Drabkin氏とカリフォルニア州立大学のBradley Hart教授によるラットランド元英空軍少佐に関する論文、Agent Shinkawa Revisited: The Japanese Navy’s Establishment of the Rutland Intelligence Network in Southern CaliforniaInternationalJournal of Intelligence and Counterintelligence 誌に掲載されました。ラットランドは英空軍を除隊した後、1920年代から1940年代まで日本海軍のスパイとして活動したことで知られており、これまで日(私)英(Antony Best教授、Max Everest-Philips氏)の研究者によって論文が書かれてきました。これら論文はMI5の資料を基にしたものであり、大筋ではラットランドは長年日本海軍のスパイであったにも関わらず、大した情報を報告できていない、ということで、スパイとしてはあまり役に立ってなかったのではないか、という評価でした。

 今回の論文は、2016年にFBI関連の資料が公開されたことによって、米国人研究者の手によってラットランドに別の顔があったことが論じられております。ラットランドは、米国太平洋艦隊が寄港するロスアンジェルスやサンディエゴでの活動での活動を日本海軍から命じられていたのですが、実は、ラットランドは西海岸ではかなりの有名人であり、当時のLAタイムズ紙上で頻繁に実名が挙がっています。当時、ラットランドは英国出身の起業家という肩書で、米国西海岸の社交界に出入りし、名前を売っていたようですが、その派手な活動はスパイとは程遠いものでした。そこで本稿が指摘しているのは、ラットランドの役割は、米国の世論を操るというインフルエンサー(Agent of Influence)ではなかったのか、というものです。これはなかなか面白い指摘でして、確かに彼がMI5に身柄を抑えられた後の尋問では、ラットランドは違法なスパイ活動によって米軍の機密を得たことはなく、むしろ新聞を利用して日米の戦争を回避することにあった、と供述しております。これに対するMI5の評価は、「ほら吹きだ」というものでしたが、ただこれだけ当時の新聞に露出しているということは、何らかのプロパガンダ的な狙いがあったのかもしれません。

 私も少しだけ協力させていただいたのですが、Drabkin氏が収集してきた当時の新聞記事を散々見せられ、確かにそのような側面もあるのではないか、と思った次第です。また本論稿では、ラットランドが一時的に居を構えていた横浜でどのような生活を送っていたのかについても調べられており、まだ日本国内にもラットランドの足跡が資料として残っていたことに驚いております。今回の両執筆者によりますと、今後もラットランドのインフルエンサーとしての側面を解明しながら、さらなるラットランド研究の分野を開拓していくつもりのようです。

 

 

 

 



by chatnoir009 | 2021-04-19 14:37 | 書評