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by chatnoir009
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戦間期の空爆禁止議論

戦間期の空爆禁止議論_e0173454_13164532.jpg 130日に「武器と市民社会研究会 」において、戦間期の空爆禁止議論について報告させていただきました。以前、イギリスに留学していた頃に戦略爆撃についてかなり調べたことはあるのですが、空爆禁止議論については初めてでしたので、この1年ぐらいは寝ても覚めても空爆禁止の話が頭の中をよぎっていた状況です。空爆禁止議論とは、航空機の発達によって市民に対する無差別爆撃が可能となりつつあった1920年代に、世界中の世論が空爆行為の禁止と爆撃機の廃止を望み、そのために各国がジュネーブにおいて、空爆を含む軍縮議論を行いました。この顛末についてはよく知られていますが、結局英仏など当時の列強が軍縮を良しとせず、それに不満を抱いたドイツが連盟を脱退して再軍備に踏み切るという結果に終わっています。後知恵的に言えば、英空軍が航空兵力を縮減しなかったことで、後でナチス・ドイツの脅威から国を守ることができたのですが、当時、英政府の態度は世論から猛攻撃を受けます。

例えば19331025日のロンドン、フラム・イーストでの補欠選挙では、同地区が保守党の牙城であったにも関わらず、平和主義的な労働党の候補が当選し、当時のマクドナルド政権に衝撃を与えました。これは後に「平和のための補欠選挙」として知られるようになります。また19351020日には、ロンドン郊外のウッドフォードグリーンに「空戦反対記念碑」が設置されていますが、この碑はジュネーブ軍縮会議において、爆撃の禁止に消極的であったイギリスの政治家や軍人、外交官に対する痛烈な皮肉でありました。ではなぜイギリス政府はこのような世論の反対を押し切って、軍縮に向かわなかったのか、というのが論点になってくるのですが、これは今、論稿として纏めている所でして、近日中には発表できるかと思います。

他方、インテリジェンス研究においては、なぜ英空軍がドイツの空軍力を過大評価したのかがよく問題になります。1930年代後半、英政府は戦争を回避するために対独宥和政策を採ったのですが、この政策の背景には、戦争になればドイツ空軍の戦略爆撃によってロンドンを始め、イギリスの各都市が甚大な被害を受けるという危機感がありました。ですので193991日に第二次世界大戦が勃発すると、イギリスは夜間爆撃を恐れて灯火管制を敷き、市民に防毒マスクを配ったといわれるほど過剰な反応を見せています。今回、爆撃禁止議論にまつわる空軍省の資料に目を通していると、戦間期の英空軍は一貫して被爆撃の脅威を強調しています。1920年代にはフランス空軍を仮想敵国とし、仏爆撃部隊がロンドンに対して空爆を行った場合、開戦1週間で1.8万人の市民が死傷するとの試算を出していますし、1930年代に入ると今度はドイツ空軍の脅威を過度に強調するようになります。

この空軍の警告が功を奏してか、193435日、英帝国防衛委員会は陸海軍備よりも早急に空軍力の増設が必要と判断し、718日の閣議において、今後5年間で空軍力を大幅に増設する「A計画」が了承されています。ただこの背景には英空軍の組織や予算拡張の目的があったことも事実です。空軍は陸海軍に比べると規模の小さな組織でしたので、常に取り潰しの危機にありました。ですので他国からの空爆の脅威を強調することで、何とか組織を存続させようと試みていたのかもしれません。

しかしインテリジェンス研究の分野においてこれは「情報の政治化」と呼ばれる現象であります。インテリジェンスとは事実を論理的に積み上げた結果のものでなくてはならないのに、政治的な意図によって都合の良い情報を恣意的に使うのがこの現象であり、あまり好ましいものではありません。しかし歴史を紐解けば、冷戦期には米軍がソ連の核戦力を過剰に見積もっていますし、今も北朝鮮がどれぐらいのミサイルと核弾頭を保有しているのか確実にはわかりません。つまり相手国の軍備を正確に測るのは情報機関といえどなかなか困難ではありますが、どちらかといえば過大に算出してしまうのがこの世界の常のようです。




by chatnoir009 | 2019-02-02 22:22 | インテリジェンス