スノーデン氏に関する二冊の本
2014年 06月 05日
昨年から話題となっているエドワード・スノーデン氏の暴露本が、ちょうど同じタイミングで日経BP社と新潮社から翻訳、発売されました。どちらもスノーデン氏が米国家安全保障局(NSA)の機密を暴露してからその後の顛末までが綴られているのですが、同じ内容というわけではありません。
ちなみにNSAは米軍の通信傍受を専門とする組織で、有名な米中央情報庁(CIA)をも凌ぐ、米国最大の情報組織です。NSAの本来の任務は、通信傍受によって国外の情報を収集することであったはずが、いつの間にか暴走して、法律で禁じられている米国内の一般市民に対する情報収集を行うようになりました。市民のメールを収集するのは朝飯前、グーグルやフェイスブックなどのIT企業と協力して個人情報を集めたり、暗号ソフトにバックドアを仕掛けておいて暗号もすり抜ける、といった様々な手法で、ビッグデータを収集してきたわけであります。
そこで当時、NSA関連の業務を行っていたスノーデン氏はこのようなNSAによる無差別情報収集の現実を目の当たりにして憤慨、部内情報を持ち出し、それをジャーナリストに渡したことでスノーデン氏は一躍時の人となりました。何度も書いていますが、今年、日本政府内に設置された国家安全保障会議(NSC)とNSAは名前が似ていますが、全く異なる組織です(NSAとNSCの違いついてはこちらをどうぞ)。
新潮社の『暴露』の方は、スノーデン氏が接触したジャーナリスト、グレン・グリーンウォルド氏の視点から書かれており、NSAの機密文書の暴露に主眼が置かれています。いわゆる「一次資料」が中心に据えられていますので、やや専門的なところがありますが、NSAの生々しい現実が臨場感をもって伝えられています。例えば、NSAが傍受しているメールの数が月に970億件だとか、これまでに蓄積してきた米国人のメールの総数が20兆件にも上るだとか、これらは部内リークでないと全く表に出てこないような情報であります。たとえNSAがメールの内容まで逐一チェックしていないとしても、どの相手とメールや電話のやり取りを行ったかで、その人の行動が推察されてしまうこともあります。本書内には以下の様な事例が紹介されています。
「ある女性が、かかりつけの婦人科医に電話をする。それからすぐ母親に電話し、その後、ある男性に電話をする。この男性は、過去数カ月間、この女性が午後11時以降にしばしば電話をしていた相手だ。それから中絶の斡旋をしている家族計画センターに電話をしたら、どうだろう。一本の通話の記録を調べるだけでは明らかにならないような、おおまかな筋が把握できるはずだ」(203頁)
こういった行動予測は、昔から軍事情報の分野ではよく行われていることですが、一般の市民に対してもこのような見方をされる可能性があることを考えますと、なかなか心穏やかにはなれません。グリーンウォルド氏はこの点について、「NSAの能力をもってしても、すべてのEメールを読み、すべての通話を聞き、全員の行動を追跡することはできない。監視システムが効果的に人の行動を統制できるのは、自分の言動が監視されているかもしれないという認識を人々に植え付けるからだ」(261頁)と鋭い指摘を行っています。
この話は米国に限定されるものではありませんから、ネットにおける我々の個人情報も常にNSAの監視下にあると考えておいた方が良いでしょう(私もあちらのお友達とメールするときは「君の会社」や「河向こうの人々」と一応無駄な努力を行っていますが)。
日経BPの『スノーデンファイル』の方は、英国『ガーディアン』紙の海外特派員、ルーク・ハーディング氏によるもので、その内容はやや英国寄りです。本書では米国NSAの兄弟分である、英国政府通信本部(GCHQ)の秘密活動を描くのにかなりの紙幅が割かれています。本文中、スノーデン氏は「GCHQはNSAよりひどい。やりたい放題です」と断言していますが、これは言い得て妙かもしれません。
NSAの場合、まがりなりにも法律によって米国内で米国市民の通信を勝手に傍受することは禁止されていますし、テロや犯罪捜査目的で傍受を行う場合は、裁判所からの許可が必要となっています。それに対してGCHQの場合は法律で、「通信傍受をやってよいのはGCHQに限る(他の組織は駄目よ)」としか決められていません。そうなるとまさにGCHQはやりたい放題でして、以前はNSAから依頼されて米国内の傍受も肩代わりして行っていたようです。最近はNSA自ら米国内の傍受を担当するようになったので、その必要はなくなったのですが、今でもNSAとGCHQの関係は一蓮托生のようです。
この本がスリリングなのは、ガーディアン編集部と英国政府の対立が先鋭化して、政府機関監視の下、編集部のパソコンが粉々に砕かれるという衝撃の焚書行為、そしてそれにも屈せずジャーナリズムを貫くガーディアン側の反撃というストーリー性にあるのだと思います。
ちなみにスノーデン氏一行が、政府機関に居場所を特定されないため、各々の携帯電話を冷蔵庫に入れて電波を遮断しようとする描写があります。これを読んで、電源を切った方が早いのではと思ったのですが、調べてみるとどうやら電源を切っても生きているパーツがあるらしいので、冷蔵庫というのもそれなりの説得力があります。さらに調べると、電源を切った携帯をアルミホイルで包んで、電子レンジに放り込んでおくほうがより安全な遮蔽になるみたいです。居場所を特定されたくない方には参考になるかもしれません(笑)。
2冊に共通するテーマは、無垢な市民を陰でこっそりと監視するNSAとGCHQ、そして本来、情報機関を監督すべきはずの議会も政府側に抱き込まれて機能せず、そのような状況の中、最後の砦となった報道機関がスノーデン氏とともにNSAとGCHQの闇を暴く、という二極対立的なものです。この話に感銘を受けたオリバー・ストーン監督もスノーデン氏を主人公にした映画を製作すると発表したところですが、リベラル色の強い監督ですので、何となくストーリーは見えてきます。
ただし、NSAもGCHQも危険な組織だから解体せよ、という訳にはいきません。両組織はもともとテロとの戦いや、国民の安全のために平時から情報収集活動をおこなっているのであり、それによって未然に防げたテロも少なくありません。そのため両国民の一定数は常に情報機関の役割を肯定的に捉えています。確かに9・11テロ以降の情報収集活動が暴走気味であったことは確かですが、むしろ重要なのは、このような情報機関の暴走を抑える制度設計の方です。最近、米国では法律が改正されてNSAの活動に一定の枠がはめられましたし、英国においても議会の情報機関の監視権限が強化されています。
この点についてちょうど『インテリジェンスの基礎理論(第二版)』を上梓された小林良樹氏も以下のように書いておられます。
「仮にインテリジェンス機関が暴走するようなことがあるとすれば、国民の人権を著しく侵害しあるいは国家の存亡そのものを危うくしかねない潜在的な危険性があることは否定できない。こうしたことから、民主的国家においては、インテリジェンス機関の活動に対する民主的統制制度を確立しておくことが不可欠である」(176頁)
もう一点指摘しておかなくてはいけないのは、スノーデン氏の機密情報持ち出し、並びにその暴露は、法律に違反しているということです。米国であれば意図的な機密漏洩は懲役10年、しかも加重主義となりますので、氏が持ち出した機密の量を考えますと、懲役100年は下らない計算となります。本人もそのことを重々承知しているので、最初は香港、そして今はロシアに逃げ込んでいるわけですが、報道に拠りますと今後は、グリーンウォルド氏の居住するブラジルへの亡命も検討されているようです。ただ2冊ともジャーナリストによって書かれているため、スノーデン氏が何を考えているのかいまいちよくわからない所もあります。
最後に、2冊を読んで感銘を受けたのは、やはり欧米におけるジャーナリズムの力強さです。報道機関も元来、第四の権力として政府をチェックすることになっていますが、本書を読むと『ガーディアン』や『ニューヨークタイムズ』の権力に屈しない力強さ、そしてスノーデン氏の資料の重要性にいち早く気付いたジャーナリストらの慧眼には驚かされます。
ちなみにNSAは米軍の通信傍受を専門とする組織で、有名な米中央情報庁(CIA)をも凌ぐ、米国最大の情報組織です。NSAの本来の任務は、通信傍受によって国外の情報を収集することであったはずが、いつの間にか暴走して、法律で禁じられている米国内の一般市民に対する情報収集を行うようになりました。市民のメールを収集するのは朝飯前、グーグルやフェイスブックなどのIT企業と協力して個人情報を集めたり、暗号ソフトにバックドアを仕掛けておいて暗号もすり抜ける、といった様々な手法で、ビッグデータを収集してきたわけであります。
そこで当時、NSA関連の業務を行っていたスノーデン氏はこのようなNSAによる無差別情報収集の現実を目の当たりにして憤慨、部内情報を持ち出し、それをジャーナリストに渡したことでスノーデン氏は一躍時の人となりました。何度も書いていますが、今年、日本政府内に設置された国家安全保障会議(NSC)とNSAは名前が似ていますが、全く異なる組織です(NSAとNSCの違いついてはこちらをどうぞ)。
新潮社の『暴露』の方は、スノーデン氏が接触したジャーナリスト、グレン・グリーンウォルド氏の視点から書かれており、NSAの機密文書の暴露に主眼が置かれています。いわゆる「一次資料」が中心に据えられていますので、やや専門的なところがありますが、NSAの生々しい現実が臨場感をもって伝えられています。例えば、NSAが傍受しているメールの数が月に970億件だとか、これまでに蓄積してきた米国人のメールの総数が20兆件にも上るだとか、これらは部内リークでないと全く表に出てこないような情報であります。たとえNSAがメールの内容まで逐一チェックしていないとしても、どの相手とメールや電話のやり取りを行ったかで、その人の行動が推察されてしまうこともあります。本書内には以下の様な事例が紹介されています。
「ある女性が、かかりつけの婦人科医に電話をする。それからすぐ母親に電話し、その後、ある男性に電話をする。この男性は、過去数カ月間、この女性が午後11時以降にしばしば電話をしていた相手だ。それから中絶の斡旋をしている家族計画センターに電話をしたら、どうだろう。一本の通話の記録を調べるだけでは明らかにならないような、おおまかな筋が把握できるはずだ」(203頁)
こういった行動予測は、昔から軍事情報の分野ではよく行われていることですが、一般の市民に対してもこのような見方をされる可能性があることを考えますと、なかなか心穏やかにはなれません。グリーンウォルド氏はこの点について、「NSAの能力をもってしても、すべてのEメールを読み、すべての通話を聞き、全員の行動を追跡することはできない。監視システムが効果的に人の行動を統制できるのは、自分の言動が監視されているかもしれないという認識を人々に植え付けるからだ」(261頁)と鋭い指摘を行っています。
この話は米国に限定されるものではありませんから、ネットにおける我々の個人情報も常にNSAの監視下にあると考えておいた方が良いでしょう(私もあちらのお友達とメールするときは「君の会社」や「河向こうの人々」と一応無駄な努力を行っていますが)。
日経BPの『スノーデンファイル』の方は、英国『ガーディアン』紙の海外特派員、ルーク・ハーディング氏によるもので、その内容はやや英国寄りです。本書では米国NSAの兄弟分である、英国政府通信本部(GCHQ)の秘密活動を描くのにかなりの紙幅が割かれています。本文中、スノーデン氏は「GCHQはNSAよりひどい。やりたい放題です」と断言していますが、これは言い得て妙かもしれません。
NSAの場合、まがりなりにも法律によって米国内で米国市民の通信を勝手に傍受することは禁止されていますし、テロや犯罪捜査目的で傍受を行う場合は、裁判所からの許可が必要となっています。それに対してGCHQの場合は法律で、「通信傍受をやってよいのはGCHQに限る(他の組織は駄目よ)」としか決められていません。そうなるとまさにGCHQはやりたい放題でして、以前はNSAから依頼されて米国内の傍受も肩代わりして行っていたようです。最近はNSA自ら米国内の傍受を担当するようになったので、その必要はなくなったのですが、今でもNSAとGCHQの関係は一蓮托生のようです。
この本がスリリングなのは、ガーディアン編集部と英国政府の対立が先鋭化して、政府機関監視の下、編集部のパソコンが粉々に砕かれるという衝撃の焚書行為、そしてそれにも屈せずジャーナリズムを貫くガーディアン側の反撃というストーリー性にあるのだと思います。
ちなみにスノーデン氏一行が、政府機関に居場所を特定されないため、各々の携帯電話を冷蔵庫に入れて電波を遮断しようとする描写があります。これを読んで、電源を切った方が早いのではと思ったのですが、調べてみるとどうやら電源を切っても生きているパーツがあるらしいので、冷蔵庫というのもそれなりの説得力があります。さらに調べると、電源を切った携帯をアルミホイルで包んで、電子レンジに放り込んでおくほうがより安全な遮蔽になるみたいです。居場所を特定されたくない方には参考になるかもしれません(笑)。
2冊に共通するテーマは、無垢な市民を陰でこっそりと監視するNSAとGCHQ、そして本来、情報機関を監督すべきはずの議会も政府側に抱き込まれて機能せず、そのような状況の中、最後の砦となった報道機関がスノーデン氏とともにNSAとGCHQの闇を暴く、という二極対立的なものです。この話に感銘を受けたオリバー・ストーン監督もスノーデン氏を主人公にした映画を製作すると発表したところですが、リベラル色の強い監督ですので、何となくストーリーは見えてきます。
ただし、NSAもGCHQも危険な組織だから解体せよ、という訳にはいきません。両組織はもともとテロとの戦いや、国民の安全のために平時から情報収集活動をおこなっているのであり、それによって未然に防げたテロも少なくありません。そのため両国民の一定数は常に情報機関の役割を肯定的に捉えています。確かに9・11テロ以降の情報収集活動が暴走気味であったことは確かですが、むしろ重要なのは、このような情報機関の暴走を抑える制度設計の方です。最近、米国では法律が改正されてNSAの活動に一定の枠がはめられましたし、英国においても議会の情報機関の監視権限が強化されています。
この点についてちょうど『インテリジェンスの基礎理論(第二版)』を上梓された小林良樹氏も以下のように書いておられます。
「仮にインテリジェンス機関が暴走するようなことがあるとすれば、国民の人権を著しく侵害しあるいは国家の存亡そのものを危うくしかねない潜在的な危険性があることは否定できない。こうしたことから、民主的国家においては、インテリジェンス機関の活動に対する民主的統制制度を確立しておくことが不可欠である」(176頁)
もう一点指摘しておかなくてはいけないのは、スノーデン氏の機密情報持ち出し、並びにその暴露は、法律に違反しているということです。米国であれば意図的な機密漏洩は懲役10年、しかも加重主義となりますので、氏が持ち出した機密の量を考えますと、懲役100年は下らない計算となります。本人もそのことを重々承知しているので、最初は香港、そして今はロシアに逃げ込んでいるわけですが、報道に拠りますと今後は、グリーンウォルド氏の居住するブラジルへの亡命も検討されているようです。ただ2冊ともジャーナリストによって書かれているため、スノーデン氏が何を考えているのかいまいちよくわからない所もあります。
最後に、2冊を読んで感銘を受けたのは、やはり欧米におけるジャーナリズムの力強さです。報道機関も元来、第四の権力として政府をチェックすることになっていますが、本書を読むと『ガーディアン』や『ニューヨークタイムズ』の権力に屈しない力強さ、そしてスノーデン氏の資料の重要性にいち早く気付いたジャーナリストらの慧眼には驚かされます。
by chatnoir009
| 2014-06-05 22:48
| 書評