秘密保護と情報公開
2013年 11月 20日
今週、野党各党が自民党との特定秘密保護法案の修正協議を始めたのを契機に、報道機関の論調も少しずつ変化し始めているような印象です。特に反対派の一角であった毎日新聞が、今週月曜の社説で秘密保護法に一定の理解を示しましたし、先週から読売あたりも外部の意見を引用する形で、秘密保護法の必要性を記事にしています。テレビ報道も似たような方向です。もちろん現実政治が修正協議に入ったので、それを客観的に報じれば修正協議のニュースになるのは自然だと思いますが、恐らく各社とも原則反対から条件闘争に切り替え、とりあえずは観測気球を上げてみたといったところでしょうか。ここ数か月、秘密保護についてなるべく多くの学者やジャーナリストの方々と議論してきましたが、意外と「個人的には理解できるが、組織としては。。。」という意見が聞かれました。ですのでどこの組織も反対一色というわけではなさそうです。
ただ政治にしても報道の論調にしても、ここまで話が進んでからの条件闘争は遅きに失したという気がします。本来であればもっと早くから条件付きの賛成論、反対論を打ち出し、政府からの譲歩を引き出すことが肝要だったのですが、「とにかく反対」だけでは議論が進まず、その結果、どんどん話が進んでいるのではないかと思います。もちろん原理原則で反対という立場があっても良いのですが、反対派は感情論ではなく、理論的に詰めて条件闘争に持ち込むべきだったのではないかと思います。
そもそも国家に秘密が存在し、それを守らなければならないという原則自体に反対する意見はほとんどないのですから、では具体的にどうやって秘密を守るのか、秘密保護法案のどこが問題なのか、といったことをもっと議論しないといけません。さらに与党が両院であれ程の多数を占めている現状からすれば、原則的な反対が法案成立に影響を与えることは難しいでしょう(まだ捻じれていれば何とかなるかもしれませんが)。そもそも1985年のスパイ防止法案の頃と今では法案の中身も社会の空気も全く違います。
ただ個人的には秘密指定の方よりも公開の方をもっと議論すべきだと考えています。例えば情報公開の時期が「30年後」は良いのですが、その後ずっと延長することが可能というのは研究者としては困ります。やはり最長〇〇年と年限を区切るべきでしょう。アメリカは最長75年、イギリスは100年のようですので、そのあたりを参考にすべきではないかと思います。それでは長すぎるという意見もあるのでしょうが、秘密の中には大量破壊兵器の設計図や暗号技術のようないつまで経っても公開し辛いもの、外国からの情報でサード・パーティールールに抵触しそうなもの、また情報提供者が長生きした場合、50年後でも本人が公開によって不利益を被る可能性などがありますので、やや長めに設定するのも仕方ない気はします。ただしそれ以外のものに関しては、外部の有識者に判断を委ね、場合によっては公開を早めるというのも一考ですが、実際に問題になるのは30年後ですので、この点についてはこれから議論していけば良いのだと思います。
さらには政府関係者、そしてセキュリティ・クリアランスを与えられた学者、ジャーナリストらが参加して、どの文書を公開するのか、非公開とするのかを決める委員会のようなものは必要かと考えていますが、まず何よりも政府文書が保管されている国立公文書館の陣容を強化するべきでしょう。特に文書を管理するスタッフは今の10倍にしても足りないぐらいです。そして国立公文書館の権限をもっと強化し、各省庁に積極的に文書を提出してもらわないといけません。そうしないと各省庁で文書が破棄されてしまうことがあるからです。
他方、「何が秘密にあたるのかが曖昧」といった指摘に対しては、現段階で秘密を具体的にリストアップするのは不可能だとしか言いようがありません。将来的にどのような情報が機密になるのかはその時になってみないとわかりませんし、特にサイバー領域での機密情報については想像もできません。そのため解釈に幅を持たせ、「その他」、「等」と書かざるを得ない所があります。この点については先週の国会の参考人質疑で、東大の長谷部恭男教授が、何が機密かについては事前に決められないし、それは独禁法など法律の世界では一般的なことだと説明されていました。確かにラプラスの箱のように、時の権力者による恣意的な秘密管理の可能性はゼロではないとは言えませんが、やはりそこまで完璧さを求めることは無理があると思います。
ただ政治にしても報道の論調にしても、ここまで話が進んでからの条件闘争は遅きに失したという気がします。本来であればもっと早くから条件付きの賛成論、反対論を打ち出し、政府からの譲歩を引き出すことが肝要だったのですが、「とにかく反対」だけでは議論が進まず、その結果、どんどん話が進んでいるのではないかと思います。もちろん原理原則で反対という立場があっても良いのですが、反対派は感情論ではなく、理論的に詰めて条件闘争に持ち込むべきだったのではないかと思います。
そもそも国家に秘密が存在し、それを守らなければならないという原則自体に反対する意見はほとんどないのですから、では具体的にどうやって秘密を守るのか、秘密保護法案のどこが問題なのか、といったことをもっと議論しないといけません。さらに与党が両院であれ程の多数を占めている現状からすれば、原則的な反対が法案成立に影響を与えることは難しいでしょう(まだ捻じれていれば何とかなるかもしれませんが)。そもそも1985年のスパイ防止法案の頃と今では法案の中身も社会の空気も全く違います。
ただ個人的には秘密指定の方よりも公開の方をもっと議論すべきだと考えています。例えば情報公開の時期が「30年後」は良いのですが、その後ずっと延長することが可能というのは研究者としては困ります。やはり最長〇〇年と年限を区切るべきでしょう。アメリカは最長75年、イギリスは100年のようですので、そのあたりを参考にすべきではないかと思います。それでは長すぎるという意見もあるのでしょうが、秘密の中には大量破壊兵器の設計図や暗号技術のようないつまで経っても公開し辛いもの、外国からの情報でサード・パーティールールに抵触しそうなもの、また情報提供者が長生きした場合、50年後でも本人が公開によって不利益を被る可能性などがありますので、やや長めに設定するのも仕方ない気はします。ただしそれ以外のものに関しては、外部の有識者に判断を委ね、場合によっては公開を早めるというのも一考ですが、実際に問題になるのは30年後ですので、この点についてはこれから議論していけば良いのだと思います。
さらには政府関係者、そしてセキュリティ・クリアランスを与えられた学者、ジャーナリストらが参加して、どの文書を公開するのか、非公開とするのかを決める委員会のようなものは必要かと考えていますが、まず何よりも政府文書が保管されている国立公文書館の陣容を強化するべきでしょう。特に文書を管理するスタッフは今の10倍にしても足りないぐらいです。そして国立公文書館の権限をもっと強化し、各省庁に積極的に文書を提出してもらわないといけません。そうしないと各省庁で文書が破棄されてしまうことがあるからです。
他方、「何が秘密にあたるのかが曖昧」といった指摘に対しては、現段階で秘密を具体的にリストアップするのは不可能だとしか言いようがありません。将来的にどのような情報が機密になるのかはその時になってみないとわかりませんし、特にサイバー領域での機密情報については想像もできません。そのため解釈に幅を持たせ、「その他」、「等」と書かざるを得ない所があります。この点については先週の国会の参考人質疑で、東大の長谷部恭男教授が、何が機密かについては事前に決められないし、それは独禁法など法律の世界では一般的なことだと説明されていました。確かにラプラスの箱のように、時の権力者による恣意的な秘密管理の可能性はゼロではないとは言えませんが、やはりそこまで完璧さを求めることは無理があると思います。
by chatnoir009
| 2013-11-20 22:17
| インテリジェンス