模倣とイノベーション
2012年 02月 25日
アクセス記録を見ますと何故か「まどマギ」のエントリーへのアクセス数が多いので、ここらでもう少し書き足しておきたいと思います。何度でも書きますが、アニメは作画よりも「モノガタリ」が大切ではないかと。最近、「製作期間7年、セル画枚数10万枚」という壮大な宣伝に釣られて「REDLINE」を観ました。102分のセルアニメであれば通常セル画は数万枚になりますので、この10万枚という数はものすごーく手間と時間がかかっていて、実際絵も滑らかに動くのですが、肝心要の「モノガタリ」がちょっと…という感じで、やはり作画は二の次だということを思い知りました。言っておきますが、最初の15分ぐらいは抜群に面白かったです。
それに比べて最近の「テルマエ・ロマエ」のような一見手抜きに見えるフラッシュ風アニメでも、起承転結の要素がしっかりしていればそれなりに面白いものに仕上がると思います。それは「まどマギ」然り、「シュタゲ」然りです。これらの作品は「モノガタリ」がしっかりしている上、それまでのアニメの定石を上手く崩せているので面白いのだと思います。「まどマギ」の場合、少女が変身して魔女と闘うという話と、宇宙のエントロピーの話が連動して進行するセカイ系、というところまでは定石ですが、魔法少女だからといって戦闘で負けると命を落とす可能性が高い、そしてそのことを第三話で劇的なまでに表現できたことが大きかったと思います。大抵のアニメは過去の作品に立脚しています。「ザムド」は観る者に「ラピュタ」や「エウレカ」を彷彿とさせ、「まどマギ」はこれまでの魔法少女ものや「プリキュア」シリーズなどを想起させるわけです。こんなことは今更言うまでもないですが、作る側はそれまで積み重ねられてきた膨大な過去の作品を模倣しながら、その上で新たなテイストによって作品を作らなければならないのです。前者は左脳的な過去の作品の知識、後者は右脳的な作り手のセンスに拠るところが大きいでしょう。過去の作品を踏まえつつそれを上手く崩せるかどうかが鍵になります。
例えば「ガンダム」という我が国におけるアニメの金字塔は、その後、「Z」、「ZZ」、「V」、「G」、「W」、、、という具合にシリーズ化されていったわけですが、やはりどれも何処かで観たような話の展開、つまり「ファースト」の路線を踏襲しつつ、その上でそれぞれの味付け、崩し方が試みられています(ただし「ガンダム」自体が「スターウォーズ」に多大な影響を受けているわけですが)。言うまでもなくガンダムがそれまでのロボットアニメと一線を画したのは、宇宙世紀という時代設定、イデオロギーの異なる勢力による人間同士の戦争、量産されるMSとリアルな戦闘描写、宇宙戦艦を中心に展開する動的なストーリー、戦略的劣勢をガンダムという新兵器で覆す展開、脇を固める魅力的なキャラクター、あたりになろうかと思いますが、冨野御大の天才的なアイディアは、少年にMSを操縦させるための主人公補正、すなわちニュータイプの概念を導入したことにあると思います。この概念によってガンダムは少年が戦争を通じて成長する物語に加え、ニュータイプとオールドタイプというような壮大なストーリー展開が同時並行的に可能になるわけであります。
そしてその後のロボットアニメやガンダムのシリーズは、これらの要素をどのように模倣し、崩し、前に進むか、という課題に直面することになります。個人的には「G」が大好きなのですが、あればあまりにガンダムの世界観を壊しすぎたため、今川監督の卓越したセンスがなければ崩壊していた可能性が高いと思います。逆に「ドラグナー」のようにガンダム路線を忠実に再現するだけではぱっとしないものが出来上がってしまいます。あの作品の致命的な点は、あれだけガンダムを踏襲したにもかかわらず、肝心のニュータイプの設定だけが抜け落ちたため、劣化版ガンダムになってしまったことでしょう。作画やMAのデザインはかなり良かったので勿体ない限りです。
また「ガンダム」は後知恵的に女性パイロットに「萌え」の要素を見出したことが大きかったのではないでしょうか。ヒロイン・パイロットはかつての「マジンガー」や「コンバトラー」でも存在していましたが、弓さやかや南原ちずるは当時、「萌え」として認識されていなかったように思います。当時のロボ物は圧倒的な「燃え」のアニメでした。しかし「ガンダム」にセイラ・マスが登場して以降、製作サイドは明確に「萌え」を作品に盛り込むようになり、「ボーグマン」のアニス・ファームや「エヴァ」の綾波レイなど挙げだすとキリがないですが、男性パイロット主人公とヒロイン・パイロットの組み合わせによってロボの「燃え」を主、女性パイロットの「萌え」を従として両立させてきたのだと思います。
恐らくその到達点は2006年に講談社から出版されていました「メカビ(メカと美少女)」という雑誌で、それ以降、恐らく「アクエリオン」ぐらいからロボものは「萌え」>「燃え」の潮流が明確になりました。最近の「IS」や「ラグランジュ」は完全に「萌え」>>>>>>「燃え」ですね。出渕氏やカトキ氏のデザインに慣れ親しんだ私なんぞはまず中性的なロボのデザインに燃えません。漢のアニメは何処へ行ってしまったのやら。話が脱線してしまいましたが、もう少し広い視野からアニメを観ると、たまにアニメの定石そのものを崩すセンスの塊のような作品も見られます。賛否両論あるでしょうが、恐らく「エヴァ」は「少年がロボットを操縦する」というお決まり以外はそれまでのアニメと一線を画し、ツンデレやセカイ系に連なるものを生む原動力となりました。しかしその後のアニメは、古典を吸収しつつそれを崩す、というよりはヒットしたアニメの上澄みをただひたすら模倣する状況となった印象がありますので、どうしてもストーリーに深みが出ないわけであります。ダウンタウンが成功したのはそれまでの漫才のスタイルをすべて吸収した上であえて定石を崩したからだそうですが、ダウンタウンの成功を見たその後の若手はむしろ表面的な斬新さだけを学ぶようになった、という逸話をどこかで読んだ記憶があります。恐らく今の日本のアニメの現状もこれに通じるところがあるのでしょう。
他方、経済学で「イノベーション」とはそれまでの製品に新たな技術を加えることではなく、既存の技術でも良いから市場のフレーミング、すなわち消費者の製品に対する見方を劇的に変えることなのだそうです。例えば、「まどマギ」や「シュタゲ」は「タイムループ」という古くからあるアイディアに着目し、それを上手く描き切ることに成功しました。この題材は古くは「ウラシマン」や「うる星やつら」、最近では「時をかける少女」(アニメ版)といった作品で使われてきましたが、どちらかと言えば地味なテーマでした。しかし両作品のお蔭でタイムループ作品に対する物の見方が変わったと思います。
この両作品はハリウッドの名作、「バタフライ・エフェクト」を彷彿とさせますが、タイムループものが難しいのは、観る側を混乱させず最後に話をどう決着させるかであります。「バタフライ・エフェクト」では幾つものエンディングが作られましたし、最近の「ミスター・ノーバディー」(若干毛色が違いますが)も幾つもの解釈が可能なエンディングという描き方です。これに対して「まどマギ」は因果律を断ち切るという荒業で、「シュタゲ」は世界線を巧みに利用することで独自の「タイムループ」世界観を描き切ったと思います。今後タイムループ物が作られれば、必ずこの二作品と比較されることになるでしょうから、本当に面白いものを作りたいのであれば両作品を踏まえつつそれらを崩す努力をしなければなりません。
これだけ延々、過去の作品に学びそれを崩すような「モノガタリ」作りの重要性を説いてきた後にちゃぶ台返しのようで恐縮なのですが、個人的には「化物語」、そしてその続編の「偽物語」が気になっています。両作品とも「モノガタリ」よりはビジュアル勝負の作品です。美しいがあまり動かない絵というのは、なるべく少ないセル画で動きや表現を得ようと工夫してきたこれまでの日本のアニメに対する挑戦とも言えますし、文字や記号の多用や斬新なフレーミングなどはもはやアニメとは言えないような表現です。やはりアニメーションは漫画やラノベとは違い、セル画、声優、BGMといった右脳に訴えかける表現に頼るところが大きいですので、このような試みが成功し、多くの支持を集めるようであれば日本のアニメーションは新たな境地を切り開くことができるのかもしれません。
by chatnoir009
| 2012-02-25 01:41
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