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Red Tory

 どの政党も過半数に満たないというイギリスの総選挙から5日経ち、ようやく保守党と自由民主党による戦後初の連立政権が誕生しました。保守党党首、デーヴィッド・キャメロンも43歳という若さでの首相就任ですが、これは遡ること1812年に42歳で首相になったリヴァプール伯以来の出来事です。もっとも1783年には小ピットが24歳で首相になっていますが、この記録を破るのは年間300本安打を達成するよりも難しいでしょう。
 さて、どの政党も過半数に届かないハング・パーラメントの状況は、1974年に一度起こっています。この時は労働党301議席(得票率37.2%)、保守党297議席(得票率38.1%)、自由党14議席という結果でした。議席数では労働党が第一党だったのですが、得票率で見ると保守党の方が勝っていたため話がややこしくなります。この時点で首相であった保守党のヒースは、状況を打開するため自由党との連立協議に入りますが、自由党はこれを拒絶。ヒースは組閣を諦め、女王に対して労働党のウィルソンを首相に推薦します。そして半年後にもう一度解散総選挙が行われ、労働党は何とか単独過半数を実現し、ウィルソン政権が誕生したいきさつがあります。
 今回は306議席を獲得した保守党と57議席を獲得した自由民主党が連立を組むことになったのですが、自民党の方は下馬評ほど議席が伸びなかったようです。やはりこれが二大政党に有利に働く小選挙区制度の結果なのでしょう。選挙制度の改正は自由党時代からの悲願となっていたのですが、やはり今回もマイナスに働いてしまったようです。
 今回の連立は、中道左派の自民党と中道右派と見なされているキャメロン体制との妥協の産物ですが、今後両者の間で政策方針や政治哲学のズレをどこまで調整できるのかがポイントとなってきます。ネオリベラルを攻撃するコミュニタリアンの代表的な論客、フィリップ・ブロンドはキャメロン一派を「Red Tory」と評し、これまでの保守党リーダー達とは一線を画す存在であると論じています。元々この語はカナダ保守党内左派を指す言葉であったのが、最近ではイギリスの保守党に対しても用いられるようになってきたようです。
 イギリスでは1979年のサッチャー登場以降、国営セクターの民営化や金融ビッグバンによって自由競争を奨励する、いわゆるネオリベラル的な政策が強引に推し進められました。その後、労働党のブレア政権も、「第三の道」を掲げながらも基本的にはネオリベラルの路線を踏襲したようです。その結果イギリスは空前の好景気となり、私が留学していた2000年前後にはイギリスのムードは大変明るかったと記憶しています。もちろんブレア政権(というかほとんどはゴードン・ブラウン蔵相の仕事ですが)は、それまで拡大した貧富の格差を埋めるために教育や就労の「機会の均等」や冨の再配分を積極的に行いましたが、個人的偏見で言えば結局は「大きな政府によるネオリベラル的政策」になっていたのではないかと思います。保守、労働党という政権党の違いに関わらず、ネオリベラリズムが浸透してしまったということになるのでしょう。コミュニタリアンの議論によりますと、この30年間イギリスで生じたのは経済的繁栄(それも2008年金融危機までですが)との代償に、個人主義の行き過ぎによる地域社会の破壊、大企業による産業・サービスの寡占化、政府の中央集権化といった変化でありまして、彼らはRed Toryがこれらをリセットし、冨の再分配やコミュニティーの復活による価値観の創出といった政策の実施を期待しているようです。
 しかしこの手の政策であればむしろ労働党右派の方が容易いようにも思えるのですが、やはりそこはこれまでの労働党政権への幻滅、そして新たなキャメロン保守党への期待が表れているのでしょう。確かにキャメロン自身は「思いやりのある保守」、「リベラル保守」としてサッチャリズムとは一線を画しているように見えますが、果たしてその真意はどこにあるのでしょうか。
 思い起こせばブレアの時も若くて見栄えの良い党首が「第三の道」を掲げて颯爽と登場しましたが、今から振り返ると果たして第三の道なんてあったのか、という印象です。ブレアに比べるとキャメロンの場合はさらに難題をたくさん抱えていますので、なかなかこれからの政権の舵取りは困難なのではないでしょうか。
by chatnoir009 | 2010-05-12 22:31 | 国際情勢