人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「魔法は探し求めている時が一番楽しい」


by chatnoir009
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

ポポフ

 とある事情でしばらく「007」こと、ジェームズ・ボンドのモデルの一人となったドゥシュコ・ポポフについて調べていました。「007」といえば原作者のイアン・フレミング自身が英国海軍情報部に勤務しており、ボンドは彼の分身でもあると言われていますが、その他にもMI6の「イントレピッド」ことウィリアム・スティーヴンソンや同じくMI6のシドニー・ライリー、またフレミングの親しい友人であり、スパイ兼発明家でもあったシドニー・コットンなど様々な人物がボンドのキャラクター形成に影響を与えました。ポポフも第二次大戦中はドイツ軍情報部のアプヴェーアとイギリスの防諜部であるMI5の間で二重スパイを務めた人物ですが、ポポフのフレミングに与えたインスピレーションはスパイ活動よりもむしろ、ポポフのギャンブル、女性好きの側面かもしれません。フレミングの処女作、『カジノ・ロワイヤル』はパリのカジノを舞台にボンドが活躍する話ですが、実際にポポフもリスボンのカジノで名を馳せた人物であり、フレミング自身もカジノでポポフと協力していたとも言われています。
 MI5のエージェントであったポポフは戦後長らく沈黙を守ってきましたが、1972年に彼の元上司であるMI5のジョン・マスターマンがThe Double Cross System in the War of 1939 to 1945(邦題:二重スパイ化作戦)を発表したことに触発され、1976年に回顧録、『スパイ/カウンタースパイ:第二次大戦の陰で』を書き上げました。これは読み物としては大変面白いのですが、どこまで信用できるのかという問題もつきまとっていました。しかし最近のMI5の資料公開が進んだお陰で、Russell Miller, Codename Tricycle といった学術的な伝記も最近発表されるようになり、ポポフの伝記がかなり正確な内容であるということもわかってきました。
 例えばポポフはMI5では「トライシクル(三輪車)」というコードネームを付けられていました。これはポポフが女性2人とベッドを共にする習性から由来していると真しやかに語られてきたのですが、Millerの説によりますと、ポポフは部下を2人雇って3人で情報活動を行っていたために「トライシクル」となったそうです。しかしクリストファー・アンドリュー教授によるMI5の公式史の中では相変わらず「トライシクル」の由来が女性関係からであるという指摘ですので、どっちが正しいとは言いにくいのですが、この点に関してはどうもMillerの説の方が信憑性があります。ただ確実なことはポポフが大変な女ったらしであったということであります。
 第二次大戦中、MI5は前述のマスターマンによる有名なXX(ダブルクロス)委員会を運営し、同時にドイツ側から引き抜いた39名の二重スパイを使ってドイツに偽情報を送り、ドイツ軍の作戦を混乱させていました。この二重スパイの中で最もイギリスに貢献したのがポポフとガルボでして、ポポフはその功績を称えられてイギリス王室から叙勲されています(当時は極秘事項でしたので、ロンドンの高級ホテル、リッツのバーでこっそりと勲章がMI5から本人に手渡されたそうですが)。
 ポポフのスパイとしての大きな功績は主に、①ドイツ側の極秘連絡手段であった「マイクロ・ドット」の存在を連合国側に知らせた、②真珠湾情報をFBIにもたらした、③ノルマンディー上陸作戦直前、ドイツ側に偽情報を掴ませ、連合軍のノルマンディー上陸を援護した、といった成果が挙げられると思います。
 恐らく我々として気になるのは②の真珠湾情報ではないでしょうか。これはアプヴェーアによってポポフがアメリカに派遣される直前の1941年8月、アメリカでの調査リストの中に真珠湾の軍施設、並びに米艦隊の状況について調査する、という項目が含まれていたことでした。ポポフはここからドイツの同盟国である日本が真珠湾を攻撃するのではないか、と予測し、当時のフーバーFBI長官に進言したとのことです。これに対してフーバーはポポフを全く信用しておらず、この情報もフーバーが個人的に握りつぶしてしまったと言われていますが、このポポフ情報はアメリカのローズベルト大統領が日本の真珠湾攻撃を事前に知っていたのにそれを黙認したという真珠湾謀略説の根拠として用いられてきました。
 この話はポポフの回顧録でしか語られていなかったので、その信憑性が疑われていたのですが、1982年にミシガン大学の歴史学者、John Bratzel とLeslie Routが “Pearl Harbor, Microdots and Edger Hoover”と題した論文を発表し、ポポフの真珠湾情報はフーバーには伝わっていたが、ローズベルト大統領までは上げられなかった、という結論が導き出されています。しかし個人的には一体なぜリストに真珠湾についての情報収集が載っていたのか、ということの方が疑問に思います。当時真珠湾攻撃計画は超極秘事項でしたので、その内実を知っていたのは日本海軍においてもごく一握りの幕僚だけであり、陸軍や政治家といえども知る立場にはありませんでした。そのような極秘事項を同盟国とはいえドイツ側に情報収集の依頼を出すとはどうも考えにくいのであります。真珠湾に関して言えば、海軍は自らスパイを使って真珠湾の現地情報を集めていたのですから、わざわざポポフを使う必要もありませんでしたので、日本海軍からドイツに情報収集を依頼したというのはあまりありそうにない話です。この点に関してはまだまだ調査する必要性がありそうです。
by chatnoir009 | 2010-02-10 22:50 | インテリジェンス