人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「魔法は探し求めている時が一番楽しい」


by chatnoir009
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

「C」 in green ink

 最近、元6の方と話をする機会がありました。残念ながら詳細についてここで書くことはできません。ただ印象深かったのは、6の長官は未だに緑のインクで「C」とサインしているそうです。これは初代長官、マンスフィールド・カミングが書類に「C」とだけサインしていたのを、その後の長官が皆それに倣い、慣例として延々と続けているものです。私はこれは一種の都市伝説ではないかと疑っていたのですが、今回、直接確かめることができたので満足しています。6の設置が1909年ですから、もう百年も続いている伝統ですね。
 ここで常々書いていますが、私が元職の方から話を伺うのは、イギリス政府がどのように世界を見ているのか、その本音を知りたいということもあるのですが、むしろ研究を行なう際、現場の肌感覚を知っておくのはとても重要であると考えているからです。歴史研究者の仕事は一次資料を読み、それをパズルのように組み立てていくような作業です。もちろん完成図などはありませんから、先行研究を頼りにしながらパスルを組んでいく作業を行なうわけですが、時に全く未知の資料に出くわすことがあります。そういった場合、現場を知っているのと知らないのでは大きな差が出てくるのではないかと思います。
 
 若干話がそれますが、戦後のイギリス外務省の資料を読んでいて、ある外交交渉の最中、イギリスの外交官が本国に対して、「情勢判断のためにBJを送って欲しい」と要請している一節があることに気が付きました。情報史をやっていれば、この「BJ」が通信傍受情報のことであり、イギリスが交渉を行ないながら相手国の外交電報を盗み読みし、それを元に交渉を有利に進めている、といった構図が浮かび上がってきます。ところがインテリジェンスの素養がない外交史家であれば、このBJが何のことかわかりませんし、人によっては飛ばして読んでしまうかもしれません。しかしこの一節を読み解けるかどうかは非常に重要な問題であると思います。
 国際政治史、特にイギリスの外交史をやっていればわかりますが、そもそも外交とインテリジェンスは密接に関わりあっています。丹念にイギリスの外交資史料を組み上げていくと、必ずインテリジェンスの部分が幾つも欠けたパズルが出来上がってしまいます。このことに気付いたクリストファー・アンドリュー教授を始めとするイギリスの歴史家達はこれを「失われた欠片」と呼び、1980年代には欠けた部分を何とか埋めようと、細かな資料や証言を山のように積み上げる作業を行ないました。このアカデミズムの懸命な努力が通じたのか、1990年代以降イギリス政府は情報資料を大量に公開し、これによってイギリスにおける情報史研究は飛躍的に進むことになります。
 ただし公開された資料のほとんどは1945年までのものですので、戦後史に関しては相変わらず落穂拾いの様相を呈しています。恐らく私が見つけた一節もその一部でしょう。戦後のインテリジェンスを研究する場合、このような資料の断片を根気良く探していかなくてはなりません。
 ところが日本における研究など見ていますと、インテリジェンスの部分をわざわざ迂回してパズルを組み上げる傾向があるような気がします。例えば上記の例のように、イギリスが交渉中にBJを利用していたと知っていれば、なぜイギリスがAという交渉条件に落ち着いたのか、簡単に説明が付く気もするのですが、そこに気が付かないと、「イギリスがAという交渉条件に落ち着いたのは、BでありCであり、Dであるからだと推察される」というような壮大な推理論になってしまいます。よく外交史の研究でそういった抽象的で大局に立った観点(イギリスの威信や帝国の理論云々)からイギリスの外交政策を説明するものもありますが、場合によっては一種のごまかしではないか、と思うこともあります。確かにインテリジェンスのみから国際政治史を説明できるはずもないですし、謀略論のようなことはやるべきではないと思いますが、国際政治の歴史がインテリジェンスと密接に関わってきたという事実を知っていれば、見えなかったものが見えてくる場合もあるような気がします。
 そこでまた最初の話に戻るのですが、我々はインテリジェンス感覚が未成熟であるため、うっかりしているとインテリジェンスを無視した国際政治史や、インテリジェンスのみの謀略論を所与のものとして受け入れてしまうかもしれません。そこで資料を読んで適切な検証を行なうためには、やはりインテリジェンスの感覚を涵養しておく必要があるのではないでしょうか。例えば、暗号の基本を知っておくだけでも、通信傍受に対する理解は全然異なってくると思います。
「C」 in green ink_e0173454_5145634.jpg

by chatnoir009 | 2009-08-27 22:54 | インテリジェンス