今週のSIGは、CIAの歴史研究でした。カリフォルニア州立大学のヒュー・ウィルフォード教授から、「秘密の帝国:CIAの帝国史」と題した報告がありました。米国の情報機関であるCIAが帝国史?と一見不思議なタイトルですが、教授の問題意識は、1947年に米国政府のために情報収集、分析を行う組織として設置されたCIAが、なぜ急速に海外での秘密工作を生業としていったのか、というものであり、そこには20世紀前半に大英帝国が築いた世界各国の諜報網を、米国が受け継いでいったからではないか、という仮説が披露されました。つまり英米の連携という視点でみれば、CIAは大英帝国のインテリジェンスの遺産を受け継いで、各国で秘密工作を行っていたということでしょうか。
最近のインテリジェンス史研究でも歴史学会における研究動向の影響が見られ、帝国史、さらにはLGBTなど、従来の一国のインテリジェンス史にとどまらない、マルチナショナルやマイノリティーに対する視点、などが取り上げられるようになっています。ただし今回のウィルフォード教授の説はあくまでも、「米国視点からはそう見える」的なものでしたので(教授は英国人ですが)、他の英国人研究者からは色々と突っ込みも入っていました。英国人的な感覚からすれば、大英帝国における諜報網はMI5とMI6によって維持されたのであり、それは第二次大戦後に英国が植民地経営から手を引いた後も、各地におけるMI5の情報網は確保されていたので、CIAにそれを譲ったつもりはない、との思いがあるのではないかと想像するのですが、ただ現場レベルを実証的に検証すれば、世界各地でMI5, MI6とCIAが様々な協力を行っていたことは事実であります。私も以前、スエズ危機について調べたことがありますが、やはり戦後、中東における英国の勢力圏にCIAが入ってきて、MI6と情報を共有していた、という話もありましたので、それを繋げていけばウィルフォード教授の主張にも首肯できるというものです。
いずれにしましてもウィルフォード教授が6月に発表する予定の著作、TheCIA:An Imperial History で詳しく論じられることになるかと思います。
教授の最新作は、The Spy Who Came in From the Circus というタイトルでこの4月に発売されたところです。その内容は、英国ではとても有名だという「バトラム・ミルズ・サーカス団」を率いていた、シリル・ミルズという実業家が、実は裏でMI5の情報員として働いていた、というストーリーです。英国人にとって同サーカス団はよく知られているそうですので、「あのシリル・ミルズが実は!」みたいなキャッチーなノリのようですが、残念ながら私はそのサーカス団の事を知りませんでしたので、いまいち食いつけませんでした。恐らく日本人的には「初代引田天功は日本政府のスパイだった!」みたいな話かと思います(あと劇団の「サーカス」と情報機関の隠語である「サーカス」をかけているのではないかと。タイトルの初見の際、「MI6から来たスパイ」と脳内翻訳してしまいました)。
教授によりますと、チャーチル首相がこのサーカス団のファンだったらしく、ミルズを呼び出して直接MI5にリクルートしたそうです。ミルズは当時としては珍しく飛行機を操縦できましたので、チャーチルからの直々の依頼で、空から第二次大戦直前のドイツの再軍備の様子を写真に収めていたということです。ちょうど今、公文書館で1935年の英独海軍協定の協議資料を読んでいる所なのですが、文面からは当時のドイツ側の対応がとても腰が低く、誠実に見えます。このようなドイツ側の態度に騙されて、多くの英国人がドイツ再軍備について見誤ったと想像しますが、チャーチルの慧眼はそんな面従腹背的な態度を見抜き、ドイツはいずれ牙をむいて向かってくる、と信じて行動していたことです。「信じて」だけだとそれなりの数はいたのかもしれませんが、それを行動に繋げて実践した政治家はチャーチルぐらいではないでしょうか。またシリル・ミルズは、有名な二重スパイ、ファン・ガルボの最初のケースオフィサーでもあったそうです。その後、ミルズはほとんど亡くなるまで秘密を貫いたようですが、MI5文書の公開によってこれら事実が明らかになったわけです。
それにしても御年83歳のアンドリュー教授は、未だに一次資料を掘り起こして著作を書かれ、今回の研究会でも90分近く話しまくっておられました。その壮健ぶりに驚くと同時に、好きな研究を続けられるというのは幸せなことなのだなぁと、思い知った次第です。



