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なぜシンガポールは陥落したのか?

 1942年のシンガポール陥落は、現在でも英国にとってのトラウマの一つであります。たった3か月間の戦いで、それも数的に劣勢な日本軍にマレー半島からシンガポールまで蹂躙されてしまったのですから、これは戦史に残る屈辱的な敗北といえるでしょう。従って当時から現在に至るまで、「なぜシンガポールは陥落したのか」について様々な研究が行われてきました。現地守備隊の装備や錬度が不十分であったのは当時から認識されていたことですし、日本軍が攻めてくるのもわかっていたわけですから、なぜインテリジェンスは事前に警告を発しなかったのか、といったあたりが論点になります。
 米国の真珠湾に関しては、典型的な「情報の失敗」に原因を求めることができます。その概要は、「断片的な情報はあったが、それが正しくインテリジェンスとして認識されていなかった」というものでありまして、ロベルタ・ウールステッターの研究は現在もこの分野の古典的著作となっています。
 それに対してシンガポール陥落についてはやや事情が複雑で、現在でもインテリジェンス研究のテーマの一つとなっています。まずシンガポール陥落当時から長らく言われてきたことは、英国軍部や情報部が日本軍を見くびっていたからだ、というものでありまして、要は「日本軍は二流の軍隊」、「類人猿の軍隊」といった見方が蔓延していたために負けたんだ、という説であります。その代表格はジョン・ダワーやクリストファー・ソーンになるでしょう。
 その後1990年代に入り、かなりの情報関係史料が公開されるようになると、ややこれとは異なる見方が出てきました。それはアントニー・ベストやジョン・フェリスが主張する所の「ethnocentrism(英国最高!)」説でありまして、これは、英軍は日本軍に比べると相対的に戦闘力が高いと信じられていたために、英軍は日本軍がそこまで迫ってきていても胡坐をかいていた、というものであります。しかし一見この説は、最初の説とほとんど変わらないようにも思えます。要は「日本軍が弱かったと判断していた」では差別的なので、「英軍が強かったと判断していたから油断した」と言い換えただけではないか、との指摘もあるでしょう。しかしインテリジェンスの世界で重要なのは、「敵を知り己を知る」ことでありますから、ベストらの研究はイギリスのインテリジェンスが「己の能力を過信していた」、という結論を導き出したといえます(ただ個人的に言わせてもらえば、「日本軍がきちんとシンガポール守備隊の戦力とその能力を把握していたからだ」という要因もあったのですが…)。
 しかしこれらの研究は、「インテリジェンスから見た日英関係」に留まっているともいえます。現在、英国の若手研究者達が主張し始めていることは、1930年、40年代の東アジアにおける英国のインテリジェンスは、日英関係からのみ規定されていたわけではなく、ソ連、中国、アメリカなどの要素を見落としていては、当時のインテリジェンスが置かれていた状況を正しく理解できないというものであります。特に昨今のコミンテルンに関係する情報史料の公開は、この見方に可能性を開くこととなりました。すなわち現在の研究の最前線は、「英国情報部が日本の脅威に正しく対処できなかったのは、対コミンテルン活動に忙殺されておりそれどころではなかった」という仮説を検証していくことにあります。そのため現在、英国のアカデミズムではコミンテルン絡みの事例を追いつつ、当時の英国情報部がいかに対コミンテルン活動に捕われていたのか、というような実証研究が行われています。
 そこでまた最初に戻るわけですが、シンガポールが陥落したインテリジェンス上の原因としては、① 相手となる日本軍を過小評価した、② 自分達の戦力を過大評価した、③ 東アジアには日本の他にも敵がいたので、そもそもすべてに対応するのは困難であった、といったことが今のところ言えるのではないかと思います。インテリジェンス・スタディーズにとって、シンガポール陥落は今も現在進行形の課題であり、これら議論を支える英国インテリジェンス研究の層の厚さには頭が下がります。
by chatnoir009 | 2009-03-11 20:13 | インテリジェンス