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セカイ系

 語弊を恐れずにいえば、国際政治学の研究とは理論、歴史、地域研究に大別されると思います。私自身は歴史研究のジャンルに軸足を置いているのですが、歴史研究に埋没しているというわけでもなく、時には理論や地域情勢についても研究することがあります。国際政治の理論については、それのみを学ぶことについては疑問がありますが、時に理論研究は国際政治学の全体的な議論を整理し、提示してくれますので、日々蛸壺的に歴史や地域情勢を追っている研究者にとっても有益なものとなります。

 今回、前島賢氏の『セカイ系とは何か-ポスト・エヴァのオタク史-』を読んでいて思ったのですが、やはりサブ・カルチャーの分野においても、本書のように議論を判りやすくまとめてくれるものは有難いものです。本書は「エヴァ」から「ハルヒ」までの間に、アニメやラノベ界でどのような潮流があったのか、いわゆる「セカイ系」についての筆者なりの見解と、それを取り巻く東浩紀氏や宇野常寛氏など批評家達の議論の流れを提示してくれます。私自身はもっぱら時間の許す限り頭を空っぽにしてアニメを観る派なのですが(私にとっては「ガンダム00」も「プリキュア」も同じになります)、先日、評論家の浅羽通明氏とあるアニメ作品について話をしていた際、ぱっとしたことを言えませんでしたので、一体この分野の議論はどうなっているのかということに興味を持った次第です。セカイ系_e0173454_23313211.jpg
 あまり誇らしいことではありませんが、本書内で紹介されている作品はほとんど観たものばかりですので、それらを体系的に整理して論ずることができるというのはちょっとした驚きでした。確かに最近のアニメは、主人公達の周辺の話と大きな世界の危機の話が妙にミスマッチしているなぁ、程度の印象しかなかったのですが、どうやらそれが「セカイ系」のエッセンスだったようです。「エヴァ」の強烈なインパクトのため、その後のアニメは同作品の重力に抗いきれず、「エヴァっぽい」ものが量産されていきます。異論はあるでしょうが、それらは例えば「ラーゼフォン」や「エウレカセブン」などになるかと思います。しかしその後、「エヴァ」の影響はむしろ物語性や世界観の欠如を代償とした、主人公達の日常や心の葛藤を前面に押し出すという形で展開され、それが「最終兵器彼女」や「イリヤ」、さらには「ハルヒ」へと繋がっていくようですが、今から思い返すとその萌芽は「ウテナ」にあったように思います。その際、キーワードは「(学園)日常性」と「世界終末観」といったものに収斂されていくのではないでしょうか。
 筆者によりますとこの「セカイ系」ブームは一段落し、今やサブ・カルチャーの一ジャンルに収まりつつあるとのことですが、その残滓は「学園異能系」や「空気系」として存在し続けているようです。確かにそのような傾向は今でも「レールガン」や「みなみけ」、「けいおん」などに垣間見ることができます。しかしそうなると現在主流のアニメは一体どのような視角から描かれているのか、ということにも興味が沸いてきます。最近話題となった、「化物語」、「東のエデン」、「DTB」、「闘う司書」等、これらは「ポスト・セカイ系」といえるのでしょうか。もしくは新劇場版「ヱヴァ」がまた何か新たな境地を切り開いていくのでしょうか。今や「セカイ系」はあまりに広く拡散してしまいましたので、これからのサブ・カルチャーを語るための何か新たな切り口が必要になってくるのかとは思うのですが、この辺りの議論はまだ若い筆者の今後に期待していくしかないでしょう。
 セカイ系_e0173454_2336348.jpgこの点に関しては宇野氏が『ゼロ年代の想像力』の中で、ゼロ年代以降がマッチョなサヴァイブ系、そしてその後に続くのが緩やかなつながりを求めるものになっていくのではないか、との自説を展開されていますが、この辺はどうも腑に落ちません。ただ世界的な政治史の潮流を見ますと、戦後西側諸国は福祉国家化し、国民を手厚く保護してきましたが、それでは国が持たないということで80年代には自由競争、グローバリゼーションによるネオ・リベラルが導入されます。しかし弱肉強食のやり方が行き過ぎたのか、2008年のリーマンショックで今度は地域コミュニティーが大事だ、との主張が出てきていますので、宇野氏のおっしゃることもわからないのではないのですが、サブカルの流行だけを追って果たしてそのような議論になっていくのかは疑問に感じます。
 もちろん「セカイ系」が全盛の頃でも、世界観を据えたリアル指向の作品は多々ありました。これらは例えば本ブログでも取り上げた「攻殻機動隊」や「ビバップ」、「ハガレン」や「Death Note」などがありますし、また宮崎作品に見られるようなファンタジー系、「ケロロ軍曹」や「蛙男劇場」などのシュールなギャク系などむしろこちらの方が数的には多かったとは思いますが、そのような「セル画」によって作られる虚構の世界観に不満を抱いた層が、「物語」を求めて「セカイ系」を支持したのかもしれません。確かに新海誠氏がほとんど一人で作り上げた「ほしのこえ」には得も言えぬものがあり、観る側を引き込みます(ただしこれはある程度「トップ」の刷り込みがあるからでしょうが)。最近、20代の若い世代の方たちと話していて言われたのは、「アニメはそれを作った人の手の上で踊らされているのが判るようになると拒否感を感じる」というものでありました。これはアニメを作る側と観る側で感性(シンクロ率)のズレが生じていると捉えるしかないのでしょうか。
 オタク第三世代と呼ばれる層は、「エヴァ」を観ても後半部分、特にシンジやアスカの心の葛藤の部分に共感できるそうです。しかし私は何といっても前半の部分が好きですので、その意味ではやはり第二世代、「ガンダム」に魂を引かれた「オールド・タイプ」に属しているということなのでしょう。そう考えると、「エヴァ」という作品は90年代のテイストで始まり、作品が進むにつれてゼロ年代のテイストに移行した、やはり稀な作品であったと思います。今後の潮流は、かつての「ガンダム」や「エヴァ」のような影響力を持つ作品が登場してくるか否かにかかってくるのではないでしょうか。
by chatnoir009 | 2010-05-18 23:32 | サブカルチャー