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日本インテリジェンス史


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今週、『日本インテリジェンス史』が出版されました。本書「あとがき」にも記しましたように、本書の構想を中公新書編集部の上林さんと練ったのは、2013年ですので、何と9年もの難産でした。もちろん9年間ひたすら構想を練っていたというわけではなく、その間に他の出版社さんからも書籍を出版していましたので、その度に、上林さんから「早くうちでも書いてください」と催促され続けていたというのが現実です。さらに現場の資料収集となると、これも本書で触れましたが、2006年にPHP総研の「日本のインテリジェンス体制」提言書を書く際に、各省庁の実務家や政治家の先生方から聞き取り調査を行ったのがきっかけですので、実質的な調査は2005年ぐらいから開始していました。その後も折を見ては現場の方々との意見交換を行いまして、かなりの数の聞き取りデータが蓄積されました。そこで本書を書き始めようとしたところ、今度は米国MITのリチャード・サミュエルズ教授から、日本のインテリジェンスの通史を描いたSpecialDutyの翻訳を頼まれまして、しばらくは翻訳に没頭することになってしまいました。ただそのお陰で、改めて勉強になりましたし、サミュエルズ教授の問題意識も知ることができましたので、差別化を図ることもできたのだと思います。

本書では、戦後日本のインテリジェンス・コミュニティーが内閣情報調査室とそれを率いる警察官僚を中心に運営されてきた点を強調したかったのと、戦後の曖昧なインテリジェンスにまつわる逸話を整理して、それを読者に提示したかったのです。前者についてはそれなりに達成できたのですが、後者はよくわからない話が膨大にありまして、裏の取れない話も多く苦労しました。特に内調設置の経緯や、冷戦期に日本国内で暴れまわった露華鮮のスパイ事案には頭を抱えたのですが、意外と海外の研究者や元実務家の方から話を伺うことができまして、何とかなった次第です。今後は、戦後日本のインテリジェンスにまつわる一次資料を収集してデジタル化する、という方向で考えています。

 本書を紐解く際に注目していただきたい点は、初期の内調の活動、スパイ事案、戦後の通信傍受活動、第二次安倍政権のインテリジェンス改革の話でしょうか。特に別室→調別→電波部と受け継がれてきた防衛省・自衛隊の通信傍受活動は秘中の秘でありましたので、この辺の話をある程度明らかにできたのは大きかったのではないかと思います。世間的には同じ陸幕二部でも、別室より別班の方が秘匿度が高い、という話も出回っていますが、やはり個人的にはどの国のインテリジェンス・コミュニティーであれ、通信傍受が最も秘匿されるべき分野であり、しかもそれが現在進行形の話であるという点で、別室の方がより秘密の組織ではないかと思います。また第二次安倍政権におけるインテリジェンス改革はとても意味合いが大きく、恐らくこの時代に、10年分以上の改革が断行されたように思います。安全保障やインテリジェンスの分野で、これほどの改革を成し得た政権は、かつてなかったという印象です(本書帯の政治家の写真は、日本のインテリジェンス改革に功績のあった、吉田茂氏、後藤田正晴氏、町村信孝氏、安倍晋三氏を使わせていただきました。KGBのスタニスラフ・レフチェンコ氏は中公編集部チョイスです)。


# by chatnoir009 | 2022-08-23 15:22 | インテリジェンス

Master Spy on a Mission

 
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 スウェーデンの安全保障開発研究所(ISDP)のバート・エドストローム教授が、スウェーデン時代の小野寺信元陸軍少将のインテリジェンス活動を総括された研究書を出版されました。小野寺少将といえば、太平洋戦争中に在スウェーデン公使館付武官として、ストックホルムで活躍し、ドイツやポーランド、エストニア国の情報機関と協力しながら、連合軍に関する貴重な情報を東京に送り続けていたことで知られています。特に1945年2月には、ソ連がドイツ降伏後数か月を目途に対日参戦を行うという、所謂「ヤルタの密約」に関する情報を入手し、それを参謀本部に送信したものの、参謀本部の作戦参謀たちがそれを握りつぶしてしまった、との逸話が良く知られおり、1985年にはNHKでもドキュメンタリーが放映されていますので、小野寺少将といえば、決定的な情報を送っていたにも関わらず、東京では無視され続けた悲劇のインテリジェンス・オフィサーであった、との見方が定着しているかと思います。そのようないきさつについては、妻百合子氏による『バルト海のほとりにて』で詳しく書かれています。

 ただ問題は、小野寺少将が本国に送ったとされる「ヤルタ電報」の実物が見つからないことにあります。参謀本部で握りつぶされたのであれば、日本側に残っている可能性は低そうなのですが、戦争中の英国政府暗号学校(GC&CS)は小野寺が東京に送る武官電報のほとんどを解読しており、解読できなかったものも戦後に改めて解読し直すということで、ほぼすべての電報が解読されて保管されているような状況なのですが、肝心のヤルタ電はその中に含まれておりませんでした。もちろんGC&CSが傍受できなかった可能性もあるのですが、ずばりの電報が残っていなくとも、その前後に必ずヤルタやソ連参戦に関する話が出てきても良さそうに思います。しかし1945年前半の小野寺少将の電報を血眼になってすべて目を通したのですが、そのような話が一切出てこないので、どうしたものかと考えておりました。少し話が逸れますが、1942年6月のミッドウェイ海戦の時に、日本海軍の作戦暗号が解読されて待ち伏せされていたことは良く知られているのですが、米海軍は日本海軍の地点符号「AF」がどうしてもわからず、ミッドウェイ島の守備隊にわざと暗号化されていない平文(「ミッドウェイは水不足」)を打たせ、それを傍受した日本海軍が「AFは水不足の模様」と司令部に送った電報をさらに傍受・解読し、米海軍が「AF=ミッドウェイ島」と判断したことは良く知られています。ところが肝心の「AF電」の現物が見当たらなかったことから証拠がなく、出来過ぎた作り話、米海軍が真実を隠蔽するためのフィクション、などともいわれたことがあるのですが、ある所に「AF電」が保管されていることがわかり、ようやく史実として確定したと言われております。ですので小野寺情報についても、肝心の「ヤルタ電報」が見つからない事には、どう判断して良いか迷う所でありました。

 これに対してエドストローム教授は、当時小野寺少将と情報交換を行い、かつ小野寺を監視下においていたスウェーデン軍や当局の資料から、実は小野寺少将自身が一貫してソ連参戦を信じていなかったと論じています。ソ連参戦を信じていないのであれば、上記のようなヤルタ電報を日本に送るというのも考えにくいので、最初からそのようなものはなかったのかもしれません。また『バルト海のほとりにて』では小野寺少将とスウェーデン軍幹部との関係が良好に描かれていますが、エドストローム教授によりますとスウェーデン軍は小野寺少将を監視し、偽情報工作のために利用していたようですので(ポーランド情報機関の公式史にもそのような記述が散見されます)、そのような視点に立脚すれば連合国の偽情報工作に利用されていた小野寺像というものが浮かび上がってきます。最近では日露戦争における明石元二郎元陸軍大将のロシア工作も否定される傾向にありますので、我々が学んできた明石像や小野寺像は、情報史研究の進展によって見直しが必要になってきているのかもしれません。

# by chatnoir009 | 2021-10-18 17:38 | 書評

トマス・リッド『アクティブ・メジャーズ 情報戦争の百年秘史』(松浦俊輔訳、作品社)の解説をじんぶん堂さんのウェブサイトに掲載していただきました。分厚いですがその分、盛りだくさんの本です。
# by chatnoir009 | 2021-10-18 12:42 | 書評

Code Girls

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 本書2017年に米国で出版されて大きな反響を呼びました。その内容は第二次世界大戦中に米陸海軍の暗号解読組織(SISOP-20G)に勤務していた1万人を越える女性暗号解読官(コード・ガールズ)に焦点を当てたものです。戦後、彼女たちは秘密保持の規定に従い、誰にも活動内容を話さなかったため、その詳細は良くわかっていなかったのですが、最近になって国家安全保障局(NSA)がコード・ガールズについての秘密規定を緩やかにしたようで、本書が執筆されたようです。私は長らく、米軍の暗号解読も男性が中心でやっていたような印象を勝手に持っていたのですが、本書を読んでそれが思い込みだったということを悟りました。例えば本書によると1940920日に日本の外交暗号「パープル」が初めて解読されることになるのですが、これは米陸軍の伝説的解読官、ウィリアム・フリードマンの手によるものではなく、その弟子の女性解読官、ジュネビーブ・マリー・グローチャンによるものだったようです。さらに日本陸軍の船舶暗号二号(2468コード)を初めて理論的に解読したのも、男女7人からなるチームであり、それは194346日深夜から7日未明のことだったと記されています。そして1945814日、日本政府はスイスの加瀬俊一公使に対して、連合国からのポツダム宣言を受け入れ、停戦に同意する旨の暗号通信を送っていますが、この暗号通信を解読したのも女性暗号解読官、バージニア・アダーホールドだったそうです。彼女は日本の降伏の意思を確認することになった最初の米国人といって良いでしょう。またNSAの伝説的解読官、アン・カラクリスティも元々、戦争中に陸軍の暗号解読組織で雇われ、才能を開花させたようです。

 このように戦争中の米陸海軍の暗号解読組織では多くの女性解読官が活躍していたので、暗号分野で日本軍は、女性の力に屈服させられたといっても良いのかもしれません。本書はこのような事実を丹念に発掘しており、歴史研究としても読み物としても興味深い内容となっています。同時期の英国の暗号解読組織(GC&CS)でも2000名もの女性スタッフを雇っていたことが知られていますが、まだ男尊女卑の強かった時代に女性の能力を活用した米英の柔軟さには驚くばかりです。これに対して日独は女性をこのような部署に配属するという発想は皆無でしたし、ソ連に至っては女性を兵士として最前線に送り込んでいます。まぁ日本も大学出の貴重な頭脳を学徒動員によって最前線に送り込んでいましたのであまり笑えませんが、いずれにしましても使えるものは何でも使おう、というアングロサクソンの現実主義的な発想には頭が下がる思いです。

 なお、本書は今年の夏頃にみすず書房さんから翻訳版が出版される予定となっております。



# by chatnoir009 | 2021-04-23 17:41 | 書評

Agent Shinkawa Revisited

 Ron Drabkin氏とカリフォルニア州立大学のBradley Hart教授によるラットランド元英空軍少佐に関する論文、Agent Shinkawa Revisited: The Japanese Navy’s Establishment of the Rutland Intelligence Network in Southern CaliforniaInternationalJournal of Intelligence and Counterintelligence 誌に掲載されました。ラットランドは英空軍を除隊した後、1920年代から1940年代まで日本海軍のスパイとして活動したことで知られており、これまで日(私)英(Antony Best教授、Max Everest-Philips氏)の研究者によって論文が書かれてきました。これら論文はMI5の資料を基にしたものであり、大筋ではラットランドは長年日本海軍のスパイであったにも関わらず、大した情報を報告できていない、ということで、スパイとしてはあまり役に立ってなかったのではないか、という評価でした。

 今回の論文は、2016年にFBI関連の資料が公開されたことによって、米国人研究者の手によってラットランドに別の顔があったことが論じられております。ラットランドは、米国太平洋艦隊が寄港するロスアンジェルスやサンディエゴでの活動での活動を日本海軍から命じられていたのですが、実は、ラットランドは西海岸ではかなりの有名人であり、当時のLAタイムズ紙上で頻繁に実名が挙がっています。当時、ラットランドは英国出身の起業家という肩書で、米国西海岸の社交界に出入りし、名前を売っていたようですが、その派手な活動はスパイとは程遠いものでした。そこで本稿が指摘しているのは、ラットランドの役割は、米国の世論を操るというインフルエンサー(Agent of Influence)ではなかったのか、というものです。これはなかなか面白い指摘でして、確かに彼がMI5に身柄を抑えられた後の尋問では、ラットランドは違法なスパイ活動によって米軍の機密を得たことはなく、むしろ新聞を利用して日米の戦争を回避することにあった、と供述しております。これに対するMI5の評価は、「ほら吹きだ」というものでしたが、ただこれだけ当時の新聞に露出しているということは、何らかのプロパガンダ的な狙いがあったのかもしれません。

 私も少しだけ協力させていただいたのですが、Drabkin氏が収集してきた当時の新聞記事を散々見せられ、確かにそのような側面もあるのではないか、と思った次第です。また本論稿では、ラットランドが一時的に居を構えていた横浜でどのような生活を送っていたのかについても調べられており、まだ日本国内にもラットランドの足跡が資料として残っていたことに驚いております。今回の両執筆者によりますと、今後もラットランドのインフルエンサーとしての側面を解明しながら、さらなるラットランド研究の分野を開拓していくつもりのようです。

 

 

 

 



# by chatnoir009 | 2021-04-19 14:37 | 書評